2002年7月号

毎日95度前後の気温が続き、草の緑も茶色に変色した所が目立つようになってきました。それでも、どうかすると朝晩気温が下がってくれることもあります。昨夜も窓を開けてみますと、程よい風もあり、涼しさを感じるくらいに温度も下がっていました。「あっ、天の恵み」と窓を開けたままで休んでみることにしたのですが、夜が深まるに連れて虫達も久し振りの涼しさに元気付いたのか、その賑やかなこと。途切れることがないものですから、もし家の中であんな虫を飼っていたら「どうぞ、どこへでも好きなところへおいでなさい」と逃がしてしまうことでしょう。

皆様にはいかがお過ごしでしょうか?暑さを吹き飛ばし、喜びの中に日々を送っていらっしゃいますか。7月13、14日と米沢興譲教会の田中信夫先生のメッセージを聞きにJacksonvilleRaleighに行って、沢山元気を頂いて帰ってきましたら、淑子Sype姉が入院されたと聞いてびっくり致しました。軽いストロークを起こされたようで、病院でお会いした淑子姉は、数日のリハビリで手は完全に動くようになり、右足だけが不自由のようでした。「じっとしていることのできない私に、神様は休養する時を与えて下さった」という言葉を嬉しく聞きました。

皆様の日々のお祈りの中に、淑子姉の体の回復を加えて下さいますように。

 

 

 



私達は良く母親のことを話に持ち出しますが、父親のことになると、恐れを感じさせるような父親の厳格な一面が出てきます。俗に言う厳父慈母ですが、厳しい父は近寄りがたく、優しい母は近寄りやすいです。

神こそ天にいらっしゃる私達の父であると聖書は啓示しています。天の父のご性質はどのようなものでしょうか。神は正しく、慈しみがあって、聖く真実なお方です。私は、よく天の父と我々の関係を、自分と自分の子供の関係にたとえて話します。私には二つの役割があります。天の父なる神の子供であるが、肉親の子供の父でもあります。

天の父の子供になるのは簡単ですが、神に愛される子供になるのは簡単ではありません。神はその愛するものを懲らしめるからです。懲らしめは子供にとって耐え易いものではありませんが堪え忍ぶことが必要です。ヘブル人への手紙の作者は、懲らしめに堪え忍び、受けている苦難によって落胆し気落ちしてはならないと励ましました。彼らが遭遇したことは全て、一切神の懲らしめによらないものはなく、彼らに霊的な益を与え、更に素晴らしい御心に導くためのものでありますから。

さて「しつけ(訓練)」の原語には、監督する、説き伏せる叱ることによって罪を知らせるという意味があります。 「試練」と「懲らしめ」は「しつけ(訓練)」と似ていますが、違いがあります。「試練」は神の慈しみによるもので人間の益のためにあって、過ちを罰するためにあるのではありません。「懲らしめ」は神の正しさによるもので、人が過ちを犯した時に味わう苦しみです。「しつけ(訓練)」には「試練と」「懲らしめ」の二つの意味が含まれています。時には人の過ちを罰することによって、その人を立ち帰らせるためにあります。時には人が成功するために与えられた試練です。当時、ヘブルのクリスチャンの中には神からの試練による苦しみを受けている人もいましたが、それらの苦しみは単純に十字架の道を歩むことによるものではなく、自分の過ちも含まれていました。ですから作者は「しつけ(訓練)」ということで彼らを励まし、単に彼らと試練に耐えることの真理について論じ合ったのではありません。

 

1、懲らしめのみ教え(へブル12:5)

「そして、あなた方に向かって子供に対するように語られたこの勧めを忘れています。『我が子よ、主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。』」

ヘブル人への手紙の作者は、箴言3:11、12を用いて、信者達に聖書の教えを忘れてはならないと注意を促しました。聖書の教訓は後に信者達が出会う困難のために、前もって残されて来たものです。主の懲らしめを受ける時に、どのような態度を持つべきかを教え、聖書の神の御言葉から慰めと力を得させるためにあるのです。ここで作者は、困難によって落胆し、弱り果てる原因は「あなた方に向かって子供に対するように語られたこの勧めを忘れている」からと言っています。クリスチャンが忘れなくてはならないのは人の誉め言葉で、忘れ易いのは聖書の忠告の言葉です。聖書の助言は私達が最も忘れてならないものです。なぜなら聖書の助言には誤りや偏見がないだけでなく、神の聖い愛の心によるもので、完全に信者の益のためにあるからです。ちょうど親が子供達にアドバイスをするのと同じです。「わが子よ」の原文は小さな子供ではなく、大人をさして言っているのです。

「主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。」この二つの御言葉は、信仰の弱い二種類の人に対するものです。

一つ目は、自分達がであっている苦しみが、すべて「主の懲らしめ」によるものであることを忘れている人達です。彼らは全ての困難は人から来たものだと思い、ただ人をうらみ、罪を他人に帰して、静かに耐えることができず、主が人を通して与えた「訓練」であるかどうかさえも考えられないのです。

二つ目は、受けている苦しみは主の「懲らしめ」によるものであると分かっているが、主の懲らしめを軽んじているのです。主の懲らしめが彼らの霊的成長にどんな価値があるものかが分かりません。懲らしめを受けている時も不公平だと主を怨み、信仰の道で気落ちして退いてしまっています。この二種類の人は共に聖書の忠告を忘れています。

 

2、懲らしめの理由(6~8節)

「主はその愛するものを懲らしめる」

愛は愛する者に期待を持たせます。愛すれば愛するほど期待も大きくなります。俗に言う「深く愛せば責めも強くなる」ですが、主が私達を懲らしめるのは私達に対して深い愛があるからです。しかし私達の霊的状況は常々主の期待から遠く離れています。背いている時さえあります。こうなると主は私達を懲らしめます。

イスラエル人が神から離れて偶像を拝んでいた時、エリヤは神に雨を降らせないようにと祈り、神は彼の祈りを聞き入れ、三年と六ヶ月雨を降らせませんでした。イスラエル人は旱魃に遇い、生活できなくなると、悔い改めて神に立ち帰ったのです。もし、この旱魃がなければ彼らは永遠にバアルを神としてヤハウェの神を忘れて滅びていたでしょう。神は彼らがこのような災いに遇うのを望んでいたのではなく止むを得ないものでした。私達も時には、このイスラエル人と同じではないでしょうか。私達が罪の故に苦しむのは神の願いではなく神の止むを得ない懲らしめです。神は決してご自分の子供が罪を犯したまま悔い改めないことを望んでおられません。必ず「懲らしめ」を通して彼らを立ち帰らせます。更に、神は私達一人一人に期待を持っておられます。私達を自分が良いと思う所で立ち止まらせず神の望まれる所まで達するようにされます。

 

 3、懲らしめの結果(9、10節)

神の懲らしめは私達を神の聖さに与らせるためにあります。肉親の父のしつけの多くは好意から来たものですが必ずしも子供に益をもたらすとは限りません。例え益をもたらしてもこの世での益です。肉親の父自身も完全な者ではないから、彼らのしつけは時には誤ったものや感情的なものからのものもあります。あるいは、しつけるべき時にしつけないで、適切なやり方でない時もあります。この何年間か、私は子供のお尻を板で叩いていません。自分の気持ちがコントロールできなくなるのではないかと心配しているからです。子供にもし間違いがあった時、処罰の理由を説明した後板でお尻を叩くのは問題ないのですが、どうかくれぐれも手のひらでひっぱたかないで下さい。手は可愛がるためにあることを忘れないで下さい。もし本当に怒っていても、すぐには手を出さないで、板か棒を探しに行っている間に気持ちを落ち着かせて下さい。肉の父親のしつけがこのように慎重なものであるなら、霊の父である神の懲らしめに過ちがある訳がないのです。神の懲らしめは、いつも私達に霊的な益を得させるためにあります。神の聖さに与らせるためにあるのですから、私達は神の懲らしめを謹んで受け入れて従い、神の善意に信頼すべきではないでしょうか。

何人かの子供が泥遊びをしていました。1人の母親が怒りながら走り寄ってきて、その中の1人を殴り、家に連れ戻しました。その子は、「なぜ他の子供は殴らないのか」と抗議しました。すると母親は「彼らは私の子供ではないから」と言いました。もし神が私達を懲らしめずに、したい方題させていたら悲惨なことになります。父親の懲らしめにあわない子供がどこにいるでしょうか。

神の懲らしめは時に苦痛を感じさせます。しかし、懲らしめを堪え忍んだ人達は素晴らしい霊的な実を結んでいます。

 

神の懲らしめはその時は苦しいのですが、この苦しみに無駄なものはなく、更に大きな利益をもたらせるためにあります。神は私達の受ける苦しみが一時的なものであると約束しておられます。人生の旅の中で、神は私達に完全に楽しむことだけ、あるいは苦しみだけを受けさせません。暗闇の中では泣くけれど、夜明けの朝には必ず喜びを歌い上げられます。

神が私達に苦しみを受けさせた目的は、霊的生活の中で更に多くの実を結ばせるためにあります。生活が更に神のように聖くされ、神の懲らしめの中にある期待に添うように霊的成長をするためにあります。

(続く)


寄稿


7月13日に行われたJacksonvilleでの田中芳子先生のお証は私達日本を遠く離れた者にとって、深く心の琴線に触れるものでした、と申しますのも、芳子先生は日本人のご両親のもと、アメリカで生まれ育った二世でした。理学療法士をしておられた頃、神学の勉強に来られていた信夫先生と出会い、アメリカに住み続けるという約束のもとに結婚されたのですが、故郷の山形で伝道せよと、主からの召命を受けられた信夫先生から「日本に帰りたい」と言われたことに深いショックを受け、心が病み、精神病院にも入れられたそうです。「病院のドアが閉められた時の音は今でも忘れません。私は病院の中にいて涙を流し、格子戸の向こう側では信夫先生が涙を流していました。」と静かに笑顔で語られる芳子先生の姿に、その苦しみの深さを思いました。

英語が話せずに日本からアメリカに来た私達と、片言の日本語しか分からずにアメリカから日本に行かれた芳子先生とは、立場は逆ですが状況は全く同じ、芳子先生の思いを自分の上に重ね合わせながら、お証に耳を傾けた方も多かったことでしょう。

私達は、JacksonvilleからRaleighに向かう車に芳子先生に一緒に乗って頂きました。先生と車の中という、より身近な場所で色々なことをお分かちし合えたのは本当に感謝でした。

芳子先生が、アメリカという恵まれた生活環境の中から、山形県という日本海に面した田舎町に行かれ、ガラスは破れ、ストーブもない貧しい生活に入られたこと。「でも一番辛かったのはお風呂なの。」という言葉に実感がありました。大家族で住んでいる日本の田舎では、まず両親が入り、夫が入り、夫の妹が入り、嫁は最後という、お風呂の順序があるそうで、「私はいつも最後なの。垢の浮いているお風呂に入るのが辛くて辛くて・・・」アメリカで暮らす私達には芳子先生の辛さが良く分かりますよね。アメリカでは入るたびにバスタブのお湯は変わるんですから。今では笑いながら語れるお話ですが。

また、日本語が片言しかできず、挨拶の言葉が分からなかった芳子先生は、日曜日の朝、信者さん達をお迎えする時に、ハグしてキスしていたら牧師さんである信夫先生の御両親から、「日本ではそんなことをしてはいけない。頭を下げて挨拶するんだ」としかられて、頭をペコペコ下げるようになってしまったこと。そうしたある日、信者のお婆ちゃんから「芳子先生、チューして下さい。」といわれ、その一言が固くなっていた芳子先生の心の一筋の光になったこと。

イエス様がナザレの人々には敬われず、遠くの人々に慕われ、崇められたことを思いました。

 

今こうして芳子先生のお話を思い出しながら、先生が通って来られた様々な苦しみが、あの深い微笑みに昇華されていったことを覚えます。

深い静かな湖に小石を投げると輪が静かに広がって行くように、時を経るにつれ、芳子先生のお話の一つ一つが私の心の中に静かに広がっていきます。

「神様のなさることは、全て相働きて益となる。」信夫先生がよくおっしゃる言葉です。「我は只、僕にあれば何ごとも神の意志なり問わず従う。」感謝します。                       中藤百々代


 

 

パレスチナ問題について(日曜学校ノートから)


毎日のように悲惨な殺戮の様子がメディアを通して流れてきます。皆さんもきっと心を痛めておられることとでしょう。私達を愛していて下さる天の父なる神様の嘆きの大きさを思わずにいられません。どうしてパレスチナ問題は解決しないのでしょうか。

今回はこのことについて考えてみたいと思います。

 

この地域に住んでいる人達のルーツについて創世記10章を読んでみましょう。エジプト人、カナン人(現在のパレスチナ地方に住み着いた人々)、そして(少年ダビデが倒した巨人ゴリアテ達)ぺリシテ人はハムの子孫であることが分かります。一方、11章に詳しく述べられていますが、アブラハムはセムの子孫です。そしてアブラハムが、妻サラの下女によって得た子がイシュマエルで、神は、彼の子孫も大いなる民族にするが、アブラハムへの神の約束を受け継ぐのは妻サラの子イサクであると言われました。(創世記17:20)このイサクの息子がヤコブ、後のイスラエル、すなわちユダヤ人の先祖です。そしてイシュマエルの子孫がアラブ人で、主に現在のサウジアラビアとヨルダンに住んでいます。つまりアラブ、イスラエルはセム人であるのに対して、エジプト、シリア、レバノンなどはハム人なのです。

 

さてパレスチナという名は、紀元70年のマカベアの乱を鎮圧したローマ帝国が、ユダヤ人を辱めるために旧敵ぺリシテ人に由来させて、この地域をそう呼んだことが始まりです。ぺリシテ人はダビデの時代には現在ガザ地区と呼ばれている地域に住んでいましたが、その後民族としてのアイデンティティーを失ってしまいました。結局パレスチナ人とは特定の民族名ではなく、パレスチナに住む人という意味で、最初は20世紀の初めパレスチナに帰還してきて、がリラヤ湖の北の湿地帯を開墾し始めたユダヤ人に対して用いられました。また、イスラエルを非難するため、イエス・キリストを、最初にユダヤ人に殺されたパレスチナ人と呼んだパレスチナの指導者もいました。

 

パレスチナ問題の起源は何かと言う時、イスラエルの独立が契機になったとは言えるでしょう。しかしイスラエルの独立宣言の翌日にエジプト、ヨルダン、シリアなどの連合軍がイスラエルに攻めかかっていますから、根はそれ以前にあったと見るのが妥当でしょう。

旧約聖書に記されているユダ王国の滅亡以後、ユダヤ人の祖国再建の切なる願いにも関わらず、アラブ、ユダヤを問わず、この地域には独立した国が存在したことがなく、常に大国の領地になっていました。最も新しいのは16世紀以降のオスマン・トルコの支配です。その長い間アラブ人とユダヤ人は他の民族と一緒に、この地域で共存していました。ですからパレスチナ問題を、長年のアラブとイスラエルの対立・抗争の延長と捉えるのは間違いです。

 

19世紀後半、世界各地に散っていたユダヤ人の中に、先祖の土地に帰ろうという動きが起こり、特に迫害を受けていたロシアから多くのユダヤ人達がパレスチナに帰り始めました。

第1次大戦の時イギリスは、トルコとの戦いを有利にするため、アラブ人の国を作るという約束をしてアラブ人の協力を得、パレスチナのトルコ軍に勝ちました。その時のエージェントがアラビアのロレンスです。イギリスは同時にユダヤ人の協力をも得るためバルフォア宣言といわれる書簡を出してユダヤ人のパレスチナ帰還に理解を示しました。ところが戦争が終わった時、イギリスは国際連盟から、委任統治権を獲得してパレスチナを支配し始めたのです。

第二次大戦が起きて中東が再び戦いの場となった時、地域の人々を敵に回さないために、イギリスは過去の約束を実行せざるを得なくなり、シリア・レバノン・エジプト・ヨルダンなどが独立しました。そしてこれらの国々はアラブ連盟というものを作りました。パレスチナに住むユダヤ人達も独立を求めていましたが、イギリスはこれには応じようとせず、ユダヤ人は反英闘争を始めました。ナチスの迫害を逃れてきた人達を迎えて、再びあのような惨事を避けるためには自分達の国を持つ他ないと決意したユダヤ人達の独立闘争は激しさを増し、とうとうイギリスはさじを投げて委任統治を放棄し、国連に委ねました。そして国連は1947年11月、パレスチナ分割決議をします。それは、ほぼ現在のイスラエルの領域を二つに分けてユダヤ人の国とアラブ人の国を作るというものでした。

 

ユダヤ人はこの案を受け入れましたが、アラブ人(アラブ連盟諸国)はこれを拒否し、国連の決議案履行日に独立を宣言したイスラエルに攻めかかったのです。

この時アラブ諸国は、ユダヤ人を根絶やしにするつもりでした。またそれが可能だと信じていました。何しろイスラエル人は89万人しかいなかったのですから。そして攻撃を容易にするため、パレスチナに住むアラブ人に避難するように告げました。その地域にいる者は誰かれなく攻撃できるようにするためです。

アラブ諸国は、自国はもちろん中東からユダヤ人を駆逐すると宣言していましたが、イスラエルはアラブ人でも何人でもイスラエル人になれると言いました。そこで、アラブ諸国の通告にもかかわらず、11%のアラブ人が立ち去らずに残り、イスラエル国民となりました。

悲惨なのは、すぐに自分の家に戻れるばかりか、近所のユダヤ人の持ち物も自分達の物になるというアラブ諸国の宣伝を信じて立ち去った人々です。全滅するか生き残るかの戦いに、女性や少年までが死力を尽くして戦ったイスラエルが勝ったため、帰るに帰れなくなってしまったのです。このような人々が約50万人いたといわれています。これがパレスチナ難民の始まりです。

 

パレスチナ自治政府の統計によると350万以上の難民がいます。初め約50万だったのに、なぜ今そのように沢山の難民がいるのでしょうか。どうしてアラブ諸国は仲間達を自分の国に引き取らないのでしょうか。

これについては次回分析したいと思います。それまでの間次のことを考えてみて下さい。爆弾攻撃によってイスラエル人に死傷が出た時、現場が映され、救急車が走る光景はTVに出ますが、苦しむ人、悲しむ人の表情は出ません。一方、パレスチナ人の場合、嘆き悲しむ母親の姿が、かなり長くアップでTV画面に映し出されます。この違いは何でしょうか?

 

                                  片山進悟


 

 

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