2002年8月号

恵みの雨のお陰でしょうか、大変涼しい日が続いています。夜鳴く虫の音にも一時ほどの強さがなくなり、秋の近づいたことを感じます。

かねて自宅療養をなさっていたジュンPaxton姉が8月16日天国へと旅立たれました。ジュン姉は友納牧師がおられた頃から、シャーロット日本語集会に出席されていて、私達にとって大きな心の支えになって下さった方の一人でした。昨年の今頃はお元気で、リタイヤされてすぐガンが発見された御主人のことを心配されていましたのに、ジュン姉の方が先に主の御元に言ってしまわれたのです。強い信仰を持っておられたジュン姉は、教会の牧師さんが訪ねて来られた時に、既に心の準備ができていたそうですし、亡くなられる一週間前に淑子Sipe姉と、こんな会話を交わされたそうです。

「ジュンちゃん、あんた私より先に行くこと知ってるの?」「知ってるよ」「私より先にイエス様の所に行くのよ、わかる?」「わかるよ」「私がイエス様の所へ行く時は、あんたは先に行ってるんだから、私の好きなマーガレットデイジーの花束を持って迎えに来てね」って言うと、ジュン姉は声を立てて笑われたそうです。

死の床にいる方とこんな会話が交わせるなんて、なんて素晴らしいことでしょう。この会話から、お二人の信仰の深さを、また、神様につながって生きていけることがどういうことなのかを、教えて頂きました。

最近「命の質を求めて」 ホスピス病棟日誌(下稲葉康之著)という本を読みました。末期ガンの患者達がクリスチャンドクターや看護婦さん達によってイエスさまを受け入れ、天国に凱旋していかれるお話が沢山書かれているのですが、読後に爽やかさと深く心に残る何かを残してくれる本でした。死は終わりではなく、永遠の命への始まり、「キリストを信じる者は死んでも生きる。」 何と心強い言葉ではありませんか。いつの日か再会できる場所があるって何と素晴らしいことでしょう。

 

 

 

 



ヘブル書の作者は、苦難の道は常に私達の手や足を疲れさせるが、しかし、素晴らしい希望が目の前に置かれているならば、昔の信仰ある人達を見習って、気落ちしてはならないと励ましています。信仰の完成者である主イエスを見上げることによって、垂れ下がった手も疲れた足も再度上がり、新たに力を得て、やるべき事をやり、歩むべき道を歩むことができるのです。

「また、あなた方の足のためには、真っ直ぐな道を造りなさい。」これは霊的に正しく真っ直ぐな道を歩むことを意味しています。曲がった道は足をもっと疲れさせ、落胆させるからです。

「足なえの人も関節を外すことのないため、いやむしろ癒されるためです。」関節を外すとは道を間違えると言う意味です。足なえの歩きは人一倍難しく、もし道を間違ったら容易に戻ることはできないし、前に進みたくなくなるのです。もし私達が自分の霊的な道を真っ直ぐにし正しい足跡を残したなら、霊的に足なえの人、比較的に弱くなっている人達が道を誤らないための助けになります。こうすれば彼らは、真っ直ぐな、霊的な道を進むことができるし足なえも癒されるのです。

「弱った手」と「衰えた膝」は、荒野の道を諦めて、心地よいエジプトに戻りたがるイスラエルの民に良くたとえられます。クリスチャンの責任は、人に正しい道を示し、身をもって人を正しい道に導くことにあります。クリスチャンの父親の責任も同じで、子供に正しい道を示し、自分もこの道を身をもって歩むのです。

世間では母親のことの方が良く話されますが、聖書では母親よりも、天の父や父親のことの方が多く語られています。これは天の父を知ることの重要さを説明しています。地上で父親と過ごしたことのない人は、天の父のイメージを体験し難いのです。

子供にとって、父親の影響が強いか、母親の方が強いか人によって様々な考えがあります。母親の責任は、子供の日常の生活を指導することにあります。父親の責任は大まかに言えば、子供が人生の理想を築き上げるのを助けることにあります。

肉親の父親と健全に愛し合う関係を築けない人が、天の父と正しい関係を作ることは困難です。父親の愛や子に対する関心を知らない人、父親の助け、理解、しつけ、知恵や父親のあの温かく力のある手を体験したことのない人は、どのようにして神を、自分の天の父とすることができるでしょうか。ですから、父親の責任は本当に正しい父親になり、天の父を知っている父親であることによって完全な、素晴らしい父親、最も尊敬される父親になることにあります。これができなければ父親の本分を無駄にしてしまいます。

「ただ、あなたはひたすら慎み、用心深くありなさい。あなたが自分で見たことを忘れず、一生の間、それらがあなたの心から離れることのないようにしなさい。あなたはそれらを、あなたの子供や孫達に知らせなさい。」(申命記4の9)「これをあなたの子供達に良く教え込みなさい。あなたが家に座っている時も、道を歩く時も寝る時も、起きる時も、これを唱えなさい。」(申命記6の7)

ある父親に2人の子供がいました。下の子が父に「お父さんが私に与えるべき時間と面倒を見ることを、そして与えるべきアドバイスや教えを全て下さい。」と言いました。父親はただ、お小遣いをあげ、衣服を与え、最も良い学校に送れば父親の責任を果たしたと思っていました。この父親は、自分の趣味と雄心で株、証券の世界に入り、事業に打ち込みました。子供と過ごせる貴重な時間を全てそれに充ててしまいました。壮年期に入って多くのお金を儲けましたが、内心には依然空しさがあって満足できなかったので焦り始めました。同情や本当の仲間が欲しいと思いました。ですからゴルフクラブに入り有名な人と付き合いましたが、宴会のご馳走も彼には味気なく、本当の友情も得られませんでした。彼は自分自身に言いました。「人は皆、自分の子供がいて、その子供を理解しているし、子供に理解されている。彼らは自分の子供のことを話したがり子供を誇りとしている。でも私の心は死にそうになるほど餓えている。なぜこのままでいるのか。息子の所に帰って自分が天に対しても罪を犯し、子供のお前にも申し訳ないことをしたと謝ろう。父親になる資格はないから友達にしてくれと頼もう。」そして立ち上がって息子の所に行きました。

彼がまだ遠くにいる時、息子は父親の姿が見えましたが走り拠って父親を抱くのではなく、かえって後ずさりし恐れてよそよそしい感じがしました。父親は彼に「息子よ、私は天に対して罪を犯し、子供のお前にも申し訳ないことをした。父親の責任を果たせなかったから父親になる資格はないから、友達にしてくれないか。」と言いました。しかし息子は、「もう遅すぎる。僕が一番お父さんにいて欲しかった時、アドバイスや教えが必要だった時、あなたは忙しすぎて何も僕にくれなかった。僕は自分に必要な仕事や知識を手に入れたが、正しい道を歩んではいなかった。今は可哀相に僕の身体も魂もめちゃめちゃで救いようがないから、もう遅いよ。」と言いました。すると父親は悲しみながら元の暗い社会に戻っていきました。

これは皆さんお気づきのように「放蕩息子」から書直したものです。

主イエスは12才の時に、「私が必ず自分の父の家にいるはずのことを、御存じなかったのですか。」と言われました。(ルカ2:12)もともと私達は、この地上でのことばかりを考えていたから、この世にあって望みもなく、神もない人達でした。(エペソ2:12)主イエスが私達を贖われたので、私達には神の生命、神の霊があり、私達は神のことだけを考えなければなりません。神のことだけを考えるが、この地上のことから離れずにそして、この地上で生活しているが、この地上のことだけを考えていてはいけないのです。

人によって考えが違うから歩む道も違えば、追い求めるものも違って、手に入れるものも違います。私達は単純な心で神に向かい、人の前で真っ直ぐな道に歩むべきです。神が導かれる道は必ずしも平坦な心地良いものではないが、しかし必ず真っ直ぐな道です。真っ直ぐな道というのは、必ずイエス様の似姿が私達の中で成長していくものです。神の真っ直ぐな道は、歩けば歩くほどイエス様に似ていくためにあります。

父親の姿とはどういうものでしょうか。クリスチャンの父親像は、天の父の良い子供であるだけでなく、子供の良い父親で、信仰において子供の模範となる姿です。


 

 

寄稿


「愛には恐れがない。完全な愛は、恐れを締め出します。なぜなら、恐れは罰を伴い、恐れる者には愛が全うされていないからです。」( Iヨハネの手紙 4:18)

クリスチャンは神の全き愛を知る者です。しかし、恐れによって歪んでしまったクリスチャンの人間関係を見聞きした私は、人の内に実現される神の愛について疑問を持ちました。「私達が愛するのは、神がまず私達を愛して下さったからです。(19節)」という聖句は、天国で、つまり私達が完全にされる時に実現されるものではないか、と思い始めました。神の私達に対する完全な愛は信頼できても、完全にされていない私達が互いに愛し合うことは、結局無理なのだと。そんな中、アトランタ日本人教会主催のキャンプを通して、神様は聖書が語っていることは真実であることを教えて下さいました。なかでも、2回程持たれた小グループでの分かち合いの時間は、神の愛が私達の内に全うされるという、私にとって最も貴い経験でした。本当の自分を開示できる自由があり、お互いそのままを受容し合う空気が流れていました。肩書きや立場をさておき、弱さ強さを含めた、全てを受けとめ合う人格的交わりでした。神の霊がその場にいて下さることを味わい、そこには平安や希望があることも知りました。

「いまだかつて神を見た者はいません。私達が互いに愛し合うならば、神は私達の内にとどまって下さり、神の愛が私達の内で全うされているのです。神は私達に、御自分の霊を分け与えて下さいました。このことから、私達が神の内にとどまり、神も私達の内にとどまって下さることが分かります。」(12~13節) キリストを通して最も具体化された神の愛が、私達の内で真実になる時、神に対する個々の信頼が深められるだけでなく、互いに対する信頼関係も強められることを、多くのクリスチャン(教会)に知ってほしいと思いました。また私自身もその真実に生きる者でありたいと思いました。

片山由美子


 

 

パレスチナ問題について:続き(日曜学校ノートから)


ユダヤ人差別は今も存在しますか、それとも、それはナチスの崩壊と共になくなったのでしょうか。

先月提議した、なぜイスラエル人の場合とパレスチナ人の場合ではメディアの扱いに際立った違いがあるのかという件は、パレスチナ側が自分達に不利な報道をする報道機関は締め出すので、メディアがパレスチナ側の宣伝機関になってしまっているためですが、実は依然としてユダヤ人差別が存在し、そのため報道機関自身が積極的にイスラエル非難の役割を担っているからなのです。

アジア人にはユダヤ人差別がないのでこの件に関して私達は鈍感ですがアメリカ、ヨーロッパ、アフリカなどには今もユダヤ人差別が存在します。差別と言うより敵意と呼ぶ方が良いかもしれません。ユダヤ人を根絶やしにしてやるという意識です。それはナチスだけの思想でもなければナチスと共になくなったのでもありません。今年の5月サンフランシスコ州立大学で学生達が"Hitler did not finish the job"と言って気勢を上げ、その後も同大学のウエブサイトでホロコーストを擁護したのは僅かに氷山の一角に過ぎません。今アメリカにあからさまな黒人差別はありませんが、ユダヤ人差別はあからさまです。先月も言及しましたが、イスラエルの独立の時アラブ連盟諸国は中東からユダヤ人を根絶やしにすると宣言していました。それは彼らだけの気持ちではなかったし、今も変わっていません。

なぜパレスチナ問題が解決しないのか、それは、それが多くの人達にとって好都合だからです。

第一に、難民はアラファト氏を始めとする自治政府の人達に必要な存在です。自治政府はアラブ連盟諸国、特に大産油国サウジアラビアから莫大な援助を得ています。(私達が払っているお金もその一部です)パレスチナの人々は混乱のお陰で働けず、35%以上が貧困状態にあり、自治政府の給付に頼らざるを得ないので自治政府は彼らをコントロールできるのです。大人も子供も希望を失って、聖戦で死ねば行けると教えられている天国に憧れています。そんな中で子供を自爆攻撃に送った家族は見舞金を貰って一挙に大金持になります。しかも自爆者は英雄であり、子供達の間で大人気です。アラブとイスラエルが平和に暮らすようになれば、自治政府の人達の存在理由が小さくなってしまうので学校や放送を通じてイスラエルに対する憎しみを煽っているのです。このため、悲しいことに仮にアラファト氏が平和を望み、その動きを示したとすれば、部下に殺され、イスラエルに暗殺されたと宣伝に利用されかねない状況になっています。

 

第二に、アラブ連盟諸国にとって難民の存在は必要です。難民キャンプは言わばアウトローの巣です。岡本公三など日本赤軍のメンバーが、難民キャンプでテロの訓練を受けたことはご存知でしょう。周辺諸国は、難民を保護するという建前で、自国や他国の不満分子をかくまう聖域としているのです。彼らがテロを行っても、自分達は知らないと言えます。さらに、イスラエルを攻撃する時、難民達を先頭に立てて自国の兵の犠牲を少なくすることができます。

 

なぜいつまでも難民が存在するのでしょうか。例えばベトナム難民などは、アメリカやオーストラリアなど多くの国が引き取って、異民族であるにもかかわらず自分の国の国民として受け入れています。なぜ周辺諸国はパレスチナ難民を受け入れず、何十年も彼らを難民のままで放置しているのでしょうか。それは、彼らを難民のままにしておくことに価値があるからであり難民の痛みは周辺諸国の人達の痛みでないだけでなく実はパレスチナ自治政府の人達の痛みですらないのです。そうでなければ自治政府の管理する地域に140万人(39%)もの難民がいることの説明がつかないではありませんか。彼らは難民管理という形で同胞を支配しているのです。

 

難民問題が解決しない理由の第三は、人種差別です。先月、創世記10、11章からご説明したとおりアラブ人、イスラエル人はセム族、周辺諸国の人達はハム族で私達がユダヤ人差別と理解しているのは、ユダヤ人だけでなくアラブ人にも向けられているアンチ・セミティズムです。周辺諸国にとって、これは自分達が差別しているセム族同士の自滅への争い、積極的に仲裁する理由はありません。これに対してサウジアラビアとヨルダンには同族の問題であり、比較的イスラエルに対して穏健で、解決の努力をしているアメリカにも協力的です。

 

パレスチナ問題には多くの誤解があります。先祖代々住んでいたアラブ人をユダヤ人が追い出したから問題が起きた。イスラエルが西岸地区を占領している。イスラエルの攻撃に対する報復としてテロが始まった。イスラムの聖地エルサレムをイスラエルが独占している。これらは全てパレスチナ側の宣伝(嘘)です。そして私達は誤解に基づいて判断しています。もちろんイスラエル側にも見直すべき点はありますが、もし皆さんがイスラエルを悪と思っておられるなら、冷静に見直されることをお勧めします。

 

この問題を解決するためには、まず第一に過激な言葉で相手を非難し、憎しみを煽ることを止めなければなりません。しかしサタンはそれを望みません。彼は偽りの父だから、私達が真理を知ることを喜ばないのです(ヨハネ8章44節)。聖書によれば、地上に天国が実現する前に必ずイスラエル人はイエスが救世主であることを知ります。エルサレムはそのために大切な都です。サタンはイスラエルを抹殺することによって地上に天国が実現するのを阻止しようとしています。真理を求めましょう。真理は私達を自由にします。 (ヨハネ8章32節)

                           片山進悟


 

お知らせ

毎月第3月曜日、夕方7時からカーメル教会2階215号室で、マンデー・ジャパニーズ・ナイトを行います。生活に役立つお話しを聞いたり、ゴスぺルを歌ったり、お菓子を食べながらの楽しい交わりなどを通じて、シャーロット地区の日本人の連帯を深める場になればと願っています。

ベビーシッターも可能ですので小さいお子さんがいらっしゃる方はご相談下さい。

ただ、9月は特別伝道集会が行われるため、お休みします。10月に是非ご期待、ご来会下さい。

 

9月28日(土)、29日(日)に、杉田政志先生をお迎えして、「良い人間関係を作るために」と題して、秋の特別伝道集会をカーメルバプテスト教会で行います。28日は午前10:30~12:00、午後2:00~3:30の2回、29日は午前11:00と、全部で3回の講演を予定しています。

土曜日の第二回目の講演の前後、アメリカでの生活や学校のこと、会社での人間関係などについての、相談をお受けします。杉田先生の他、アメリカ人婦人にも答えて頂きますので、相談したいことがある方は、どうぞご遠慮なく。

ベビーシッターも用意します。また子供さん達はリクリエションセンターでバスケットなどをすることができます。

 

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