2002年12月号

Ice Stormでは一週間も停電した所もあって、寒さに震えるだけでなく、シャワーも浴びられず、食事の用意も思うに任せず、いかに電気に密着した生活を送っているか思い知らされたことでしょう。夜になると真暗闇の中、ロウソクの灯りだけが頼りでしたね。ある方が8日間も電気が来なくて「どうして家だけ?って怒りがわいてくることもあったけれど、聖書の勉強会に出ていたお陰で、これも何か意味があるのかな?と思うと心が静まって・・・」と話しておられたのを聞いてとても嬉しく思いました。

22日の聖日、私達日本人のグループは中国人のグループと合同礼拝を行いました。中国語で読まれる聖書の箇所を日本語の聖書で黙読したり、中国語の美しさに耳を傾けたり。中国語があんなに透明な美しい響きを持っていることを聖書朗読を通して教えてもらいました。中国語で語られる李先生のメッセージも(私達には日本語通訳あり)心強かったのですが、私の体の中では今も時々Mingさんが神を賛美する美しいソプラノの歌が聞こえてきます。中国人・日本人が共に主を賛美できたこと、心から感謝いたします。ハレルヤ!

 

 

 



クリスマスに対するあなたの反応は?

クリスマスが近づいています。モールやショッピングセンターにはサンタクロースが姿を見せ、テレビでも盛んにプレゼントを買わせようと宣伝しています。しかしクリスマスの真の意味を知って教会で敬虔な祈りと感謝を持ってクリスマスを迎える人が依然として少ないのは残念です。しかし聖書を見ると、これは現代だけの現象ではなく、当時のユダヤも似たようなものであったことが示されています。

イエスが生まれたのは「ヘロデ王の時代」と言われています。それは当時の支配国であったローマによって紀元前40年にユダヤの王に任命され、紀元前4年に死亡したヘロデ大王と呼ばれる人です。それで今日の学者は、イエスの誕生を紀元前6年から4年頃と考えています。イエスはベツレヘムで生まれました。これはルカ2章にその事情が述べられているように、当時人口調査があり、ヨセフとマリヤは登録をするために自分達が住んでいたガリラヤのナザレという村を出て、ヨセフの故郷であるベツレヘムに来、その時にイエスが生まれたからです。マタイ1章の系図に見られるように、ヨセフはダビデの家系でした。ダビデはベツレヘムの生まれであったと聖書には述べられています。ダビデの子孫であるメシアがベツレヘムで生まれたというのは当然のことのように思われますが、その背後には皇帝アウグストが人口調査をするという出来事を通して神の摂理が働いていたことを知ることができます。

イエスが生まれた時、東方から博士達がやってきました。この人々はバビロンあるいはペルシャから来たと考えられています。バビロンにユダヤ人が捕らえられて行ったと旧約聖書に記されています。やがてメシアが出現するという希望をバビロンの人々はユダヤ人を通して聞いていたと思われます。「博士」というのは今日の博士とは少し意味が異なり、むしろ宗教儀式に携わる人々であったと思われます。一種の知識人で、バビロンで盛んであった占星術の知識もあり、その他夢を解いたり占いをしたりする人であったと思われます。その博士達が星を見ていると、不思議な星が見えたので、何か異常なことが起こるに違いないと直感しました。おそらく彼らはそれが何を意味しているのかを協議したことでしょう。そして何百年も前にユダヤ人によって伝えられたメシア出現の希望のことを思い起こし、それに違いないと信じてやって来たのです。今日のような交通機関の発達していない当時のことですから、この旅行は並大抵の努力ではできません。何百キロという道の途中には砂漠もあり、色々予測のできない危険もあったことでしょう。しかも彼らはユダヤ人ではなく異邦人であったのです。聖書についての知識も足りませんでした。しかし彼らは人づてに聞いた神の救いの約束を信じたのです。これは異邦人ながら、誠に立派な信仰と言わなければなりません。彼らは「ユダヤ人の王」としてのメシアを捜し求めてはるばるとやって来たのです。

1.ヘロデの反応

ところがヘロデはユダヤ人の王が生まれたと聞いて「不安を抱いた」とあります。彼は自分こそユダヤ人の王であると自認していたのです。だからユダヤ人の王は自分の王宮で生まれるはずです。それなのに自分の知らない間に、どこかで「ユダヤ人の王」が生まれているとは。彼は不安を感じ、心の中には恐れと同時に、その王として生まれたメシアをひそかに殺してしまわなければならないという考えが浮かんできました。彼は、早速宗教的な指導者達や律法学者達を集めてメシヤはどこで生まれることになっているのかと問いただしました。彼らはミカ5章2節を引用して「ベツレヘムです」と答えました。ヘロデは自分の殺意を知られないように「博士達をひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。」そして「行って、そのことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。私も行って拝もう」と偽って、さらに情報を集めようとしたのです。

ヘロデは「ユダヤ人の王」と聞いて、自分の王位が狙われると思いましたが、メシアは単にユダヤ一国の王ではありません。聖書はメシアを「王の王、主の主」と呼んでいます。これは地上の全ての国を支配する神の国の王であることを意味していました。ヘロデも、このメシアの前に罪を悔い改め、服従すべきでしたが、彼は自分の地位が狙われていると誤解してメシアに反感を抱き、殺そうとしました。これはメシアに対する反逆の姿勢であり、この反応こそ神に対する罪の原点です。

Text Box:  2.祭司長と律法学者の反応

祭司長や律法学者達は、メシアがどこで生まれるかということは人に教えることができるほど良く知っていました。しかし、それ以上の関心を示さなかったのです。エルサレムからベツレヘムまではわずかの距離です。何百キロもの遠い所から、異邦人である博士達がメシアを捜し求めてやって来たのとは実に対照的です。彼らはメシアに関しては博士達よりもはるかに良く知っていたのに、目と鼻の先にあるベツレヘムに行こうともしなかったのです。なぜでしょうか。彼らにはメシアを求める心がなかったのです。宗教的な指導者であれば救われるのは当然と考えていたのです。しかし、これは安易な考えだと言わなければなりません。聖書を知っていれば救われるという訳ではないのに、宗教的な地位や身分に安住して、メシアを捜し求めようとしない無関心は、反逆と同様に大きな罪です。イエスはやがてこれらの祭司長、律法学者の罪をはっきり指摘されました。

メシアを真っ先に信じなければならないユダヤ人が信じないで、神の救いの計画から遠いと思われていた異邦人が信じたのは一種の皮肉です。マタイは当時のユダヤ人が、自分達のかたくなさに気づき、無関心の態度を改めるようにと願って、ことさらにこの記事を記したのでしょう。

3.博士達の反応

東方の博士達の態度は、私達の信仰のあるべき姿を示しています。彼らはまず、メシアを捜し求めて来ました。第1に必要な態度は求めて来ることです。イエスは「全て疲れた人、重荷を負っている人は、私の所に来なさい。私があなた方を休ませて上げます」といわれました。メシアのもとに来なければ救いは与えられず、心の安らぎも得られないのです。

博士達は星に導かれてやって来て、ついに幼子に会うことができました。信仰の第2段階はキリストに出会うことです。博士達は星に導かれてキリストを見出しました。彼らが見出した幼子には絵画で見るような後光もなかったでしょう。この幼子が成人して、素晴らしい教えを説くのを聞いてもいませんでした。またイエスの十字架の御姿を見たわけでもありません。もちろん王冠も王座もありませんでした。博士達の目の前にいるのは、ごく当たり前の一人の幼子でした。しかし彼らは、この幼子こそメシアであると信じたのです。光り輝く星がそのしるしであり、証しでした。現在の私達をキリストに導き、出会わせてくれるのは星ではなく、聖書の御言葉です。なぜなら「信仰は聞くことにより、しかもキリストの言葉を聞くことによって始まるのです。」私達もイエスの十字架の御姿を、この目で見た訳ではないのです。しかし聖書が、このイエスこそキリストであり、救い主であると語っている故に、イエスを救い主として信じ、その信仰によってイエスと出会うのです。

第3の段階は「ひれ伏して幼子を拝み」ということです。博士達の信仰が本物であったことは、イエスを礼拝したことによって明らかにされています。もし彼らが幼子イエスに出会っても、それがメシアであるという信仰がなかったら拝みはしなかったでしょう。拝むということは、それが信仰の対象であることを示しています。信仰なくしては本当の意味での礼拝は有り得ないし、礼拝なしの信仰というのも有り得ません。私達は毎週日曜日、また毎日の生活の中で、どれほど主を礼拝しているでしょうか。私達の信仰が真実なものであるなら、それは必ず礼拝を伴うものであります。礼拝をおろそかにするなら、真実の信仰を持っているとは言えません。

最後の段階は、宝の箱を空けて彼等の最も大切な宝を献げた」ということです。黄金は今日でも高価な宝です。乳香は高価なアラビア産の芳香のある樹脂であり礼拝の時に献げる香りとして用いられたのです。没薬も香料の一種であったのです。博士達はメシアを拝んだだけでなく、彼らの最も大切なものを献げたのです。礼拝の中心は私達の最も大切なものを主に献げることです。

パウロはローマの兄弟達に「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなた方のなすべき礼拝です」と勧めています。神が御自身の御子を与えて下さったのであるから、私達が自分を神に献げるのは当然です。これこそ霊的な礼拝と言えるでしょう。礼拝と献身とは別物ではないのです。

以上の博士達の四つの段階を今日的な表現で言うなら「求道」「信仰」「礼拝」「献身」となります。私達も博士達と共に、この信仰の道を進んでいきたいものです。しかし博士達は、献げさえすればもうリバイバルでも起こると考えたのではありません。博士達は御言葉に従って静かに帰って行きました。ひそやかに幼子が育つ期間があるのです。博士達も自分の国でじっと待たなければならなかったでしょう。全てを献げて静かに待てる人、その人のみが救い主イエスにふさわしいのです。


 

寄稿  「思い出のプレゼント」


Text Box:  12月21日のカーメルバプテスト教会のクリスマス集会で、ラブストランド先生が「クリスマスの意味」について、クリスマスに欠かせないプレゼントのお話をされました。神様が私達に下さった最高のプレゼント、それはイエス様の誕生と言うことですが、その時先生は、思い出に残るプレゼントについて皆に質問されました。私は幼い頃の「赤い下駄」のお話しをしたのですが、そのことを今一度語らせて下さい。

それは私が5歳位の頃のことでした。台湾から引揚げて住んでいた大きな祖父母の家から、小さなアパートに引っ越した直後のことのように思います。クリスマスの日の朝目を覚ますと、私の枕元に和紙にくるまれた赤い塗りの下駄が置いてありました。母は「サンタクロースがお前にプレゼントを持って来てくれたんだよ」と言いました。幼い私は母の言葉を信じながらも「えっ、この紙、お母さんが包んだんじゃないの?」と聞いたことを覚えています。と言いますのは、当時母は村役場に勤めていて、そこで書き損じた紙を(当時は和紙に筆で書類等作っていたようです)時々家に持って帰っていたからです。母は「サンタクロースは靴下を探したけど、見つけられなかったから家にあった紙に包んでくれたのよ」と答えました。

その頃の田舎は(茨城県水戸)学校に行くにも多くの人が下駄をはいて通っていましたし、塗りの下駄はかなりのぜい沢品でした。台湾から5人の娘を連れて引揚げ、夫はフィリピンで戦死という我が家の経済状態では、塗りの下駄はかなり厳しい出費だったと思いますが、そのことは私にとても大きな夢を、心に大きな喜びを与えてくれました。

今から50年以上も前の田舎では、クリスマスなど口にすることもないような時代ですが、女学校時代からクリスチャンの友達を何人か持っていた母は、貧しい暮らしの中にあっても、末っ子の私の心に小さな光を与えたいと思ったのかも知れません。

半世紀以上たった今も、赤い塗りの下駄は私の心の片隅に、夢と光となって残されているのです。

中藤百々代

 

お詫び:先月号の証しは美登里Johnsonさんでした。編集者の手違いでお名前が抜けておりました。申し訳ありません。

 

 


 

ノアの大洪水 5(日曜学校ノートから)


進化説を信じる人が、あるクリスチャンの老婦人に言いました。「あなたは本当に鯨がヨナを呑み込んだと信じているんですか。」(ヨナ21) 老婦人は答えました。「信じていますよ。」「鯨の喉は細くて、とても人間など通すことはできないんですよ。それでも、あなたは鯨がヨナを呑み込んだと信じるんですか。」「信じますよ。神様が、そうだとおっしゃるんですから。」「あきれた人だな。」「それじゃ天国に行ったらヨナに聞いてみましょう。」「でも、もしヨナが天国にいなかったら。」「その時はあなたがお聞きなさい。」

 

先月号で、今の天地は最初に神が創造された時の天地とは違うということを書きました。ノアの洪水について理解して頂くためには準備が必要ですから、まず創世記に従って洪水以前の地球について学びましょう。

創世記1章の記述によると、全てに先立って、まず、神は天地を創造されました。その時、地は混沌としていて、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていました。地球にはまだ陸地がなく、表面は水に覆われ、ただ神の霊だけがそこにありました。

地球表面の70%は水で、海の平均深度は3,795メートルです。一方、陸地は地球表面の30%、平均標高は840メートルです。つまり地球には陸地全体をすっかり覆うだけの水が有るのです。以前は、地球誕生当時の海洋の化学的組成は現在と大きく異なっていた、と考える科学者が多かったのですが、東京大学の地球物理学教授、小嶋稔博士はこう述べています。「近年における新たな地球科学的データの多くは、現在とほぼ同様な規模の海水が(地球の歴史のきわめて初期に)既に存在していたことを示唆している。・・(初期の)堆積岩(水中の溶解物質などが沈澱堆積することによってできた岩石)は化学的組成から見て、年代のずっと新しい堆積岩と本質的な差異は全く認められず、海の性質が、その後現在に至るまでの海とほとんど変わらなかったことを示している。」

なぜ海の水は辛いのという質問を子供がします。それに対して大人は、進化説に基づいて、雨の水が土の中の塩分を融かし、その塩分が川によって海に運ばれたの。それが何十億年もの長い間繰り返されたので、海の水は塩辛くなったのよ、と答えるでしょう。この答えは間違っているとばかりは言えません、前半は事実ですから。しかし、小嶋教授の説明のとおり後半は間違っていることが分かります。長い間かかって海の水は辛くなったのではなく、最初から辛かったのです。では、最初の部分はどうなるのでしょうか。塩分はどんどん海に加えられているのに、どうして海の性質は変っていないのでしょうか。ここから大変重要な事実が分かります。それは、違いが明らかになるほど変っていないということです。つまり、間違っているのは「長い間」という部分です。変化したと言えるほど時間が経っていないということなのです。地球の誕生から今まで、実は一般に信じられているほど長い時間は経っていない、地球は古くないのだということです。これは大変重要なことです。

Text Box:  次に神は「光あれ」と言われ、光が造り出され地球は光に包まれました。神は、光と闇が交互にあるようにされ、光を昼と呼ばれ、闇を夜と呼ばれました。また神は「水の中に大空あれ。水と水を分けよ」と言われました。神は大空を造り、大空の上と大空の下に水を分けられました。神は水を二つに分けようとして「大空あれ」と言われたのです。こうして地球に大気(空気)の厚い層ができ、水は、その大気すなわち大空の上と下に分かれました。地表を覆う水と、大空のはるか上に在って、紫外線その他の有害な宇宙放射線から地球を守る水とに分けられたのです。この大気圏の上にあった水を「ウオーターキャノピー」と呼ぶことにしましょう。現在太陽系に、キャノピーまたはリングを持つ星が三つあります。木星、金星、土星です。土星のリングについては皆さん良くご存知のとおりです。木星は厚い雲(キャノピー)に覆われていて表面が観測できないと言うことですが、多くの天文学者が、木星の表面には固い陸地はなく流動的だと信じています。創造された時の地球と同じですね。金星は、地球と双子星と言われるのですが、この星の表面も厚い雲に覆われていて肉眼での観測ができません。そのキャノピーの主成分は二酸化炭素で少しの水素と水蒸気を含んでいます。表面の気圧は地球の95倍もあると言われています。このようなキャノピーが以前は地球にもあったということです。そして地球の場合、それは水でできていたのです。

一般に「大空の上の水」を空気中の水蒸気と説明する傾向がありますが、それは現実の世界に縛られているからです。空気中の水蒸気は、大空の中の水と呼ばれるべきであって、創世記が述べている「大空の上の水」は空気中の水蒸気のこととは言えないでしょう。「大空の上の水」は、今はありませんが神が天地を創造された時は大気圏の上、文字通り大空の上にあったのです。このウオーターキャノピーによって包まれていたため、地表の大気圧は現在の約2倍、酸素濃度は約30%であり、地表は非常に温暖でした。(別項で説明します。)

さらに神は「天の下の水は一つ所に集れ。乾いた所が現れよ」と言われました。すると、陸地が隆起して乾いた所が現われ、また水は集って一つになりました。神は乾いた所を地と呼び、水の集った所を海と呼ばれました。先月書いたとおり、最近地質学者の間では、その昔大陸は一つ、海も一つだったと言う説が有力になってきています。それは創世記1章9節に書いてあるとおりです。

次に神は、それぞれ種を持つものとして、それぞれ種類に応じて子孫を生み出すように、草と果樹を芽生えさせよと地に命じられ、そのようになりました。地上水中、空中の生き物も同じようにして造られました。アミーバーのような物から進化して、とうとう人間になったのではないのです。猿は猿として、蝶は蝶として最初から、それぞれ、また、独自の子孫を残すように造られたのです。先ほど述べた小嶋博士の海水組成の事実は、私達に、下等生物から高等動物に進化するだけの時間はなかった、すなわち進化説は誤りであることを教えてくれます。今地球上にいる生物は最初からそのままの形に造られたのです。

神は、その後太陽、月、多くの星を造られ、それらが秩序を持って動くようにされました。

                                  片山進悟


 

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恒例のマンデー・ジャパニーズナイトを第3月曜日(20日)夕方7時からカーメル教会A215号室で行います。どうぞご参加下さい。

 

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