2003年の年明けを皆様いかがお迎えになりましたでしょうか。今年の冬は、例年になく寒さが厳しいようです。12月初旬にはアイス・ストームが、そしてクリスマスの前に一度雪が二インチほど降りましたね。今朝もブラインドを開けますと、一面真っ白、とても美しい雪景色に感動しました。そして明日は5度Fと考えられないほどの寒い朝を迎えるようです。どうぞ皆様お風邪を召しませんように。主に在って心を熱くして生きて行きたいものです。

最近の文芸春秋の中で「失わなかった十年」と言う特集記事がありました。それは1990年頃バブルがはじけて以来低迷している日本の中にあって、揺らぐことなくしっかり輝いて生きている人達30人を取り上げた記事でした。その中で、親から受け継いだ運輸会社を「黒猫ヤマトの宅急便」という自らのアイデアで発展させ、一般家庭に一大流通革命をもたらした小倉昌男氏の話が一段とさわやかでした。

小倉氏は10年ほど前に、30年以上も経営者として働いて来たヤマト運輸を退き、持っていた300万株(数十億円)を寄付、現在ヤマト福祉財団理事長をしておられます。そこへ毎日出勤、と言っても無給。理事長室もありません。奥さんが亡くなり、娘も結婚し、一人暮らしの彼は、自宅を外資系の社宅に貸しての賃貸マンション暮らし。その家賃の差額を生活費に当てて自炊生活をしながら、身体障害者のために働いておられるのです。

小倉氏は全国の障害者の作業所を見て回り、それらが暗くて汚く、障害者達が手にする金額の余りの低さに怒りを覚え、経営のプロとして障害者の環境のレベルアップを図り、彼らが笑顔で働ける場所作りに励んでおられます。またアメリカのように企業が障害者を雇うよう義務づける運動にも取り組んでいるのです。

小倉氏は大学卒業後、働き始めて間もなくラジオを聞くことすら禁じられるほどの重い肺結核にかかり、その中で救世軍の牧師に出会い、クリスチャンへと変えられたのでした。

この10年、多くの会社が倒産し、経営者のモラルが問われることの多い今の世にあって、心の安らぎを覚えるお話でした。

この世で富んでいる人々に命じなさい。高慢にならず、不確かな富に望みを置くのではなく私達に全ての物を豊かに与えて楽しませて下さる神に望みを置くように。善を行い、良い行いに富み、物惜しみをせず、喜んで分け与えるように。真の命を得るために、未来に備えて自分のために堅固な基礎を築くようにと。新共同訳聖書テモテへの手紙第一 6:17~19)

 

 

 


 


今日は、私がどうして宣教師として日本に行ったかを証しさせて頂きます。私は台湾で生れました。父は保健所の医者でした。1976年1月に肝臓癌で亡くなりましたが、私が小学校の時、医者になるようにと言いました。ですから私は医者になることを志し、医科大学を受験しましたが受かりませんでした。人生の希望を全く失ってしまった私は初めて神に祈りました。「大学に入りたいので助けて下さい。」翌年再び受験し、幸いにも合格しました。でも医学部ではなく文学部でした。大学に入るまで私はイエス様のことを聞いたことがありませんでした。大学で沢山のクリスチャンが「一緒に教会に行きませんか。」と誘ってくれましたが、私は一度も行きませんでした。大学入試の前の祈りも忘れてしまったのです。私は自分の力によって大学に入ったのだと思い上がっていました。

大学を出てから一年間軍務に服しました。軍隊生活はとても淋しかったです。その間ガールフレンドに聖書を貰い、教会に行き始めました。ある日私は教会の特別伝道集会に行って、聖霊に導かれ福音の奥義が初めて分かりました。そこで自分は罪人であることが分かり、そのためにイエス様が十字架にかかって死なれたこと、そしてよみがえって下さったことを信じて主イエス様を私の個人的な救い主として受け入れました。そして六ヶ月後、私はバプテスマを受けました。1970年6月のことでした。

7月に軍隊を除隊し、社会福祉の仕事をしながら同時に教会で奉仕を始めました。1972年に結婚しましたが、「神学校に行きなさい」という神様の召命がだんだん強くなってきました。5年後私は確信を持って仕事を辞め、家内と一緒に台湾の神学院で聖書の研究を始めました。三年間の勉強を終えてから、すぐアメリカの南部バプテスト神学校でもう一度勉強しました。

 

卒業後、1983年にアメリカの国内宣教師になってオハイオ州デイトン市で中国教会の開拓伝道を始めました。神様の祝福を頂いて、教会は7年後に100名にもなり非常に成長しました。しかし、私はいつも神様の御旨を感じて日本で伝道することができるように祈っていました。

1990年3月、私の祈りはとうとう実現し、宣教師として7週間の訓練を受けてから、家族と一緒に日本に行きました。

 

Text Box:  1975年7月、父の肝臓癌を突然知った時、本当に驚きました。父に福音を伝えるのが遅すぎたと感じました。これが私が神学校に入った一つの大きな理由です。もう一つの理由はキリストの愛です。キリストは私の罪のために十字架につけられたのです。ここに神の愛が現わされています。聖書に、こう書いてあります。「信仰によってあなた方の心の内にキリストを住まわせ、あなた方を愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者として下さるように。また、あなた方が全ての聖なる者達と共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ち溢れる豊かさの全てにあずかり、それによって満たされるように。」(エペソ 3章17~19節)

この「広さ、長さ、高さ、深さ」は何でしょうか。これはキリストの愛です。キリストの愛は十字架の愛のことです。十字架は愛の印で、教会の印です。ですから教会は愛の印のはずです。十字架の愛は、このような「広さ、長さ、高さ、深さ」を持っています。

では、その広さとはどのくらいなのでしょうか。

キリストの愛はユダヤ人だけでなく、遠く異邦人にまで及んでいます。キリストの愛は人種を越え民族を越えて全ての人に及んでいます。「天の父は、悪い者にも良い者にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らせて下さるからである。」キリストの愛にもれている人は1人もいないのです。

その長さとはどのくらいなのでしょうか。

これはキリストの愛の無限に続くもの、その愛の忍耐の限界を語っています。それは限りのないものです。「私は限りなき愛をもってあなたを愛している。」とエレミヤ31章3節にあります。主イエス様が最後まで弟子達を愛されたように、私達にも最後まで愛を傾けておられるのです。

その高さとはどのくらいなのでしょうか。

キリストの愛は罪人を神の栄光にまで引き上げる愛です。キリストと共に生かし、共によみがえらせ、共に天の所に座らせて下さる愛なのです。これは罪の泥沼に沈んでいた者を洗い清めて、主と共に栄光の座につかせて下さることを言っているのです。

その深さとはどのくらいでしょうか。

神の愛はキリストを通して人間の堕落のどん底にまで届いています。その深さは人間の言葉では言い表すことはできません。サマリアの女を更正させ、姦淫の女を赦し、清める愛、人の心の深淵にまで届く愛なのです。この愛をキリストは十字架の上で現わして下さいました。

十字架の上で現わされたキリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さ、そしてまた細やかさ。皆さんはキリストの愛に細やかさがあることに気づいておられるでしょうか。「また、あなた方の頭の毛までも、みな数えられている。」(マタイ10:30) 父なる神の愛は、髪の毛一筋に対しても表されているのです。広さ、長さ高さ、深さに加えて、何と細やかな愛でしょうか。

この愛をもって教会の兄弟姉妹が互いに愛し合いまた隣人を愛し、このような証しを通して周りに伝えることによって、神の栄光が現れるのです。しかし、この世界は神が初めて創造された理想的な世界ではなく、罪によって人間関係と、人と神との関係が壊されてしまいました。神のご計画は全ての人がキリストの愛の中に入ることです。そして、これは教会の召命であり、責任なのです。教会の責任は「神はそのひとり子を賜ったほどにこの世を愛して下さった。」というグッドニュースを伝えることです。まず自分でキリストの愛を受け入れて、満ち溢れて、そして他の人に分かち与えることができるのです。

愛する皆さん、キリストの愛を受け入れませんか。どうぞ心を開いてキリストの愛を受け入れて下さい。神様はあなたに素晴らしい人生を与えることができるのです。


 

寄稿


結局お金の問題で今の家賃が払いきれへんようになったので、また引越しすることになって、一時は本当に食べる物の心配もしないといけないくらいになったので動揺して、忍びも未だかってないほど落ち込んでたけど、やっぱり彼の信仰は強い。

Text Box:  彼にかなり励まされながら少しずつ神様への思いを取り戻し、ひたすら祈ってたら、あの時からは考えもつかんかったように段々と、少しずつ状況が回復してきて、いろんな人に助けてもらいながら、やっと引越し先まで見つかった。そして、またこの間に少し神様に近づけたような気がする。前に比べてほんとに全てのことに対して感謝の気持ちが持てるようになったし、自分がいかに幸せな状況にいるか実感して今までの自分がほんとに恥ずかしかった。

忍びが突然私の弟に電話をかけたいと言い出し、何や突然とか思ってたら、お姉ちゃんからメールが届いて弟が生活がうまく行ってなくて奥さんと離婚の話があるとかで、びっくりしてすぐ電話かけました。実家の親、お姉ちゃんもあんな状態なので弟は誰も相談する人が近くにいなくて、私達と本当に話したかったと思います。この子は本当に心のきれいで、すごく優しい子で、人当たりが良い子で、すごく忍耐強い子で、私の家族の誇りです。

この時ほんとに思いました。自分のことは心配しなくても神様が何とかしてくれる。そんな時間があるなら他の人の、人の役に立つことを考えることの方が神様は望んでおられるやろうと。

                                                綾子Johnson


 

ノアの大洪水 6


先月に続いて天地創造の由来について確認して行きましょう。

神は最後に、人間を造ろうとして「我々にかたどり、我々に似せて人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう」と言われました。それまでに造られた全ての生き物を支配させるために、神御自身の姿に似せて男と女を造られたのです。そして神は彼らを祝福して「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上をはう生き物を全て支配せよ」と言われました。続いて「全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、全てあなた達に与えよう。それがあなた達の食べ物となる。地の獣、空の鳥、地をはう物など、全て命ある物にはあらゆる青草を食べさせよう。」と言われ、そのようになったのです。それで、全ての生き物は草や実を食べ物としていました。

人間の創造によって神の仕事は完了しました。「神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。この日に神は全ての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された。これが天地創造の由来である」と聖書は私達に教えています。これが、私達が週の内の1日を他の6日と区別して、礼拝と休息に充てる理由です。

私達は、動物や鳥の肉を食べますが、それは聖書の教えに叶っているでしょうか。

今月、まず人の創造について確認したのは、これを明らかにしたかったからです。創世記1:29、30を読むと、神は私達に、種を持つ草と種のなる実を持つ木を、また動物達にはあらゆる青草を食料として与えようといわれました。動物や鳥の肉は人に食料として与えられてません。私達は神の御教えに背いているのでしょうか。また、動物達は青草を食べるべきなのに互いに殺し合い、肉を食べています。動物達には神の力は及ばないのでしょうか。

そうではありません。創世記9:3を読んで頂くと、この時、神が、私達に肉を食べることを許されたことが分かります。動物については格別言及しておられませんが、動物達にも肉食を認められたと考えることができるでしょう。

なぜ、このような違いができたのでしょうか。前述した通り、洪水の前は温暖な気候の故に、至る所に食料となる草木が十分生い茂っており、人も動物達も必要なタンパク質を摂ることができました。これは私達には理解しやすいことだと思います。と言うのは、数十年前までは日本人はほとんど肉食をせずタンパク質を大豆で補っていたからです。しかも、その方が肉食よりも健康に良く、今ではアメリカでも日本食品は健康食として人気があります。

ところが洪水の後は、気候の変化だけでなく、有害な放射線の影響もあって草木だけでは十分なタンパク質が得られなくなったので、神は肉を食べることをお許しになりました。

さらに私は、この違いに、改めて素晴らしい神の御計画を見ることができます。なぜなら、もし最初に生き物を作られた時に肉食が認められていたら、洪水の時動物達の間で他の動物を食べてしまうものが出て、種の保存どころか、箱舟の中で血みどろの生存競争が起きたに違いありません。それまでは全ての生き物が草食であったので箱舟の中で平和が保たれたのです。

何と素晴らしい神の御計画ではありませんか。そして当然のことながら、何と、聖書の記事は一つ一つ筋が通っているのでしょう。                                                  片山進悟

 


 

 

お知らせ

「一月は去ぬ」と言われるように、新しい年も早や一月末、皆さんの今年のスタートはいかがでしたか。今年もマンデー・ジャパニーズナイトを毎月第3月曜日夕方7時からA215号室(エレベーターを降りてすぐ左の部屋)で行います。地域の日本人の交流の場としたいと思っていますので、どうぞ気軽な気持ちでご参加下さい。

 

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