厳しい寒さも過ぎ、春の訪れを感ずるこの頃でございます。5、6日留守をして帰ってきましたら、庭の水仙が沢山花開いているのを見て思わず歓声を上げてしまいました。

皆様、お変わりなくお過ごしでいらっしゃいますでしょうか?この冬はアイスストームとスノーストームが2回ずつやって来て、あまりの寒さに風邪でダウンされた方も多かったのではないでしょうか。寒さは身に染みましたが、雪景色の美しさ、静けさには感動しました。

2月の終わりにスプリングフィールド(MO)までドライブしました。近づくにつれ地を覆う雪の量が増え、「ここは牧草地が一面雪に覆われているなー」と思いながら目を遠くに移しますと、アーミッシュの馬車が2台、前後に走って行くのが見えました。黒い山高帽にフロックコートを着て、馬にムチをあてながら走っていく姿は、雪の原の向こうに黒い馬車のシルエット、動く絵を見せてもらったようで、あまりの美しさに思わず「神様、有難う」と声を出してしまいました。

            雪の原、馬車を走らすアーミッシュ、神が賜いし夕暮れの時

            今の世に、神が残せしアーミッシュ、彼らの中に戦さはありや

アーミッシュの人達が住んでいる場所の近くのハイウエイの路肩は広く取ってあり、馬車の下に「Share the Road」と書いたサインが所々に立っていて、車と馬車が共存するようになっています。夕暮れ時に車を走らせますと、家路を急ぐ馬車をよく目に致します。スプリングフィールドに行きますと、何故か安らぎや平安を感じるのは町が小さいということだけでなくこういう思いやりによるものでしょうか。

最近読んだ水谷恵信著「壊れた私、元気になった」の中の「聖書が教える“隣人愛”つまり、相手を生かすことが従うべき唯一の判断基準である。それは自分達の暮らし易さの追及ではない。どうしたら神がお喜びになるのか、目の前の相手のために役に立つのか、それを冷静に考えて行動を決めるべきなのだ。見えざる神のまなざしを感じつつ暮らす・・・・」という言葉は、私の心の中にキュンと引き締めるものを感じました。「見えざる神のまなざし」を思いつつ、神様に問いかけ問いかけ暮らしていくことを今改めて考えています。

イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた(マタイ福音書14:14)

 

 

 


 


新しい年を迎えました。「新しい」ということは嬉しいことです。新しい家、新しい服、新しい仕事、新しい出発、新婚旅行、新しい信仰人生。何でも「新しい」ということは、素晴らしいことです。新年は、カレンダーも新しくなります。私達は今2003年を迎えました。

これは、時が新しくなることですが、それと共に私達の心も新しくなることが必要でしょう。本当の新しさは、年月の新しさよりも、心の新しさにあるのではないでしょうか。

この心の一新、これをして下さるのがキリストです。聖書には、書かれています。ヨハネの黙示録21章5節「見よ、私はすべてを新しくする」と言います。

 

神は、私達の心を新しくし、生活をも新しくして下さるのです。しかし、今年はどんな年でしょうか。神に大いに期待しています。

 

聖書には未来のことが予言されています。英語で「歴史」という言葉はヒストリーといいますが、それは「ヒズ・ストリー」の変化したものとも言われ、「ヒズ」は「神の」「主の」を表し、「ストーリー」は「物語」とも訳されています。すなわち「神の物語」「神のなさったことの話」という意味です。

 

今日までの世界の歴史の中にも神の御心が示されていますが、また、これからの世界の歴史の最後に「新しい天と新しい地」とを、言い換えれば、新しい世界をお造りになると予言されているのです。

 

今の世界は、不景気と経済の混乱、政治の不安定また戦争の恐れで、世界の指導者達が、どの方向へ導いて行くのかさっぱりわからなくなっています。しかし神によると新しくなります。神が、世界の歴史を導いておられと共に、また私達の世界をも導いておられるのです。天の真の神は、新しい人生、また、あなたの人生にも「新しい天と新しい地」とを、言い換えれば、新しい運命、素晴らしい人生を約束しておられるのです。

 

皆さんは、これをご存知でしょうか。もし、これをご存知なくして、この新しい年を始めになるならば、また空虚な人生、失望と落胆、不幸と不満の一年を送られるのではないでしょうか。

 

もしあなたが、次の三つの事をこの新しい年の初めの主日礼拝にお考えになり、お始めになるなら必ず新しい信仰が開かれ、新しい人生が始まります。

第一は、まず真の神を信じられることです。お正月になると、多くの日本人は神社に参拝します。平素は無神論を言い、不信仰な人でも、お正月だけは信心深くなられるのは不思議なことですね!

しかし注意して下さい。なんでも礼拝すれば良いなんでも信心すれば良いと言うものではないのです。「鰯の頭も信心から」と言われて、鰯の頭のようなものでも信仰の対象にされてきました。

石や木や山を神にしたり、罪深い人間を神や仏と奉ることは愚かな事だと言われています。聖書に書かれています。「神は霊ですから、礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません」(ヨハネ4・24)

 

神は霊なるお方であり、ただ一人であり、また全知、全能、全愛の方です。この真の神、生ける全能の神は、全世界を導き、私ども一人一人を愛しておられます。「神の国と己の義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えてこれらのものはすべて与えられます」(マタイ6:33)この真の神こそ、あなたを今年祝福して下さり、新しい運命と新しい信仰と人生を開いて下さいます。

 

第二は、罪から離れることです。

神は真実な神です。正義を愛し、悪を憎まれるお方です。ですから、もし私達が少しでも罪を持っているなら、神は私達を助け、祝福されないのです。「罪からくる報酬は死です」(ローマ人への手紙6.23)

真の神は、聖いお方です。ですから罪があると祝福できないし、罪はその人を破滅に導くのです。罪は、必ず神の裁きを受けます。罪は、あなたを不幸にします。主の祈りには「われらに罪を犯す者を我らが赦すごとく我らの罪をも赦したまえ。我らを試みにあわせず悪より救い出したまえ。」

 

この新しい年、新しい決心、決意をして「罪から離れさせて下さいますように」と祈ったらその時あなたの人生は変わり、運命も好転するでしょう。

 

第三は、イエスキリストを救い主として信じることです。「キリスト」というのは、ヘブライ語メシア(油を注がれた者)のギリシア語訳です。神が選んだ救い主という称号であり、「イエス」というのは「私達を罪から救う」という意味です。

私達は、このキリストによって罪から赦され、神に近づく事ができるのです。キリストは、私達の罪を取り除くために十字架に死に、復活して神に近づく道をお開き下さいました。このキリストによって、神は私達の運命を変え、人生を祝福して下さるのです。「神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとりなのです。」(テモテ一2・5)

 

クリスチャンは、イエスキリストを生命の主として、主に依り頼んで下さるように祈るべきです。

 

いかがでしょう。この新しい年こそ、あなたの人生に「新しい天と地が開かれ」新しい人生が始るべきではないでしょうか。

私達の人生は、ただ一度です。そして、この年もただ一度です。繰り返すことができません。どうぞ幸福な、しあわせな祝福された一年を始められるように祈って下さい。それは、真の神を信じ、罪を悔い改め、イエスキリストを信じる、また主に依り頼むところから始るのです。

 

 最後に詩篇96編1~2を読みましょう。

「新しい歌を主に向かって歌え。全地よ、主に向かって歌え。」(96:1)

「主に向かって歌い、御名をたたえよ。日から日へ御救いの良い知らせを告げよ。」(96:2)

 

一節の「新しい歌」の意味は「新しく作られた歌」「新しい時代を反映する歌」「新しい思いを込めて歌われる歌」「終末時における神の到来を迎える歌」などという歌です。ここで言われるのは作品自体の新しさでなく、歌う者の側の「心の新しさ」であるのです。神の配慮は、日ごとに新しく、したがって人の思いも新たになるのです。

 

二節の「日から日へ」とは「日ごとに」「毎日」の意味です。クリスチャンは、新しい年の毎日に神に賛美をもって始められるのです。新しい年を迎える時、新しい歌を主に向かって歌い、新しい人生を出発しましょう。

                                                                                                      (李志堅)

 

 


寄稿


下里朝子さんが訪ねて下さった集会で、李牧師を通して、パウロが自分に与えられた身体的なトゲのことで、取り除いて下さいと主に三度も祈ったにもかかわらず、その願いを叶えてもらえなかったメッセージがありました。コリント人への手紙第二、12章7節から9節で、主が「私の恵みはあなたに充分である。私の力は弱い所に完全に現れるからだと言われた」ことをパウロは「高慢にならないように私の身体に一つのトゲが与えられた。それは私を打つサタンの使いなのである。」と言っています。

 

そのメッセージを引用して李牧師は、「あなたに与えられたトゲは何ですか」と私達一人一人に聞かれました。その時私は臆せず、そして具体的に、目まいについてひとこと答えたかったのですが、何かしら病気になって初めて、それに伴ってくる精神的苦痛や将来への恐怖など何しろ一人ぼっちで臆病になっていた当時の思いも手伝って「今の私は身体的にも精神的にも多くのトゲがあり過ぎて、それらのただ一つを指摘することは不可能です」と答えました。すると皆さんが揃って黙ってしまわれ、ちょっとしらけた空気が漂ったようにさえ感じました。後で良く考えたのですが、ここ2年間に色々な問題がありました。

 

最初はほとんど健康で、病気らしい病気をしたことがなかった私ですが、2000年の10月28日仕事中、突然何の前触れもなく、ものすごい目まいに襲われ、緊急で病院に運ばれ、その日を境として現在でも説明に難しい不快な日を味わうことがあります。この身からその不快感を取り除けたらどんなにか幸福だろうと思ったり、癒しを願ったりします。

でも私は、それぞれの問題を通して、何と自己中心で、何と高慢で、その上弱い自分を反省し恥じ入っています。今年大手術のため身体の一部さえ失ってしまった身近な姉妹の、何にも挫けない深い信仰、本当に明るくてしっかりした態度に心の目が開かれる思いです。私の持病となってしまった目まいが私に与えられたトゲでそれを通して私はクリスチャンの兄弟姉妹に祈られ、支えられながら育てられ、主に近づくことができることと思い、クリスチャンであって良かったと感謝しております。

豊子Perry

 


 

 


ノアの大洪水 7

さて、先月までに学んできたことで、皆さんの抱いておられた概念を変えなければならない事実が二つ明らかになりました。一つは、ウオーターキャノピーの存在。もう一つは、一つの大陸と一つの海です。この二つを理解しなければノアの洪水の個所を正しく理解することができないばかりでなく、進化説が間違っていることを理解することも難しいに違いありませんのでこれらをもう一度ご確認下さい。

 

余談ですが、皆さんは創世記2:10~14を読んで第三、第四の川は今も存在するが、第一第二の川は存在しないと疑問に思われたことはないでしょうか。またエデンの園は、このチグリス・ユーフラテスの上流にあったのではないかと考えてはおられませんか。実際、そのように考えて第一の川には金が豊富と書いてあることから、まじめに金を探した人もいたということです。

しかし、これらの川の名はエデンの園に関する有力な情報とはなり得ません。なぜならノアの洪水の時に起こった大規模な地殻変動で地形が全く変わってしまったので、それ以前の場所について云々することは意味がないのです。

チグリス・ユーフラテスの名が今も残っているのは、ノアの子孫達が洪水の後に落ち着いた地方に有った川に、懐かしい川の名をつけたからなのです。明治維新の後、北海道に移った人達やヨーロッパからアメリカやオーストラリアに移民した人々が、新しく作った町に出身地の町の名をつけたのと同じです。

今話題のイラクには原油が豊富です。これは、洪水以前にはこの付近に恐竜を含む多くの動物達がいたと言うことです。それが洪水の時の地殻変動で大規模な堆積が起こり、地面の下に沈んでしまったのです。同様にエデンの園も地面の下に沈んだ可能性があります。

もう一つ思い起こして確認したいのは、初めに神が創造された時、地球表面に陸地はなく、神が命じられた時に陸地が誕生したという事実です。それを理解して頂けば、ノアの洪水の時に再びそのような地球規模の地殻変動が起きたことも理解して頂けるのではないでしょうか。

 

ちなみに創世記6:15で神がノアに箱舟のサイズを示しておられます。長さ300アンマ、幅50アンマ、高さ30アンマです。NTTの元会長であった真藤氏は、その前には造船会社の社長でしたが、彼は大型船の理想的な形を研究するよう研究チームに命じました。その結果長さ・幅・高さの比率が30:5:3の時、タンカーのような大型船は最も高い安定性と強度を持つという報告を得ました。以来この比率は造船界では「真藤比」とか「黄金比」と呼ばれ大型船の主流となったということです。もうお気づきだと思いますが、この比率はノアの箱舟の比率と全く同じです。ノアは、ろくな造船技術もない?時代に理想的な舟を作ったのです。また、約3500年前、創世記を書いたモーセにも、そのような知識があったとは思われません。コンピューターも大型船建造技術もない時代に、神以外に誰が、このようなが数値を示せるでしょうか。そして、もしノアの箱舟が実際にはなかったとしたら、モーセはどこからこの比率を得たのでしょうか。

片山進悟

 


 

お知らせ

カーメルの日本人ミニストリーにJoel Lovestrand先生が協力牧師として来て下さいました。礼拝や聖書の学びを担当されます。世子夫人は神学校の最終学年の学びをしておられ、卒業後ご家族で日本に宣教師として戻られるご計画です。最近歩き始めた灯ちゃんが、笑顔を振りまいて和やかな雰囲気を作ってくれています。皆さん、どうぞご一緒に学びやお交わりをいたしましょう。

 

マンデー・ジャパニーズナイトを第3月曜日(17日)夕方7時からA215号室(エレベーターを降りてすぐ左の部屋)で行います。地域の日本人の交流の場としたいと思っていますので、どうぞ気軽な気持ちでご参加下さい。

 

「いのちの泉」は、シャーロット在住の日本人のコミュニケーションのための月刊紙を目指しています。皆さんも、どうぞ奮ってご参加下さい。ご意見・ご感想・投稿・その他、お互いの向上に役立てるための趣旨に賛同して下さる内容であれば何でも結構です。

郵便は、Carmel Baptist ChurchJapanese Ministry 宛、電子メールはcharlottejpm@hotmail.com にお願いします。電子メールで送って下さればタイプしなおさなくてすみますので感謝です。

 

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