本当によく雨が降りました。樹木は洗われ、緑が一段と美しく輝いていますが、真青に晴れ渡った空もまた懐かしく思い出される此頃です。皆様にはいかがお過ごしでしょうか?

イラク戦争も一応終結し、ほっと致しましたが、戦争を始める前よりもむしろ多くの問題を抱え込んでしまったのではないかという思いが致します。私達は、世の為政者達が大きな見地に立って、誤りなき判断を下されますよう祈り続けていかなければならないのではないでしょうか。

Text Box:  私は最近、塩野七生氏の「ローマ人の物語」を読みました。(これは塩野氏が多くの歴史書を読み、自分の足で調べて10数冊-10巻はすでに出版-の本にまとめられるものの中、4冊読んだだけですが)と言いますのも、聖書の中で「ローマ帝国の市民権」(使徒16:21,22:25など)とか、「百人隊長」(マタイ8:5、使徒16:37)という言葉を何度か目にし、なぜ他国の人間がローマ帝国の市民権を持てるのか、なぜ、それが、そんなに価値あるものなのかという疑問が私の中にあったからです。

ローマという国が建国されたのはBC8世紀、18歳の羊飼いの青年ロムルス(彼は伝説上の人物ということになっていますが、「ローマ」と言う国名はロムルスが由来)によるとされています。当時ギリシャではすでに4年毎のオリンピックが行われており、海を使っての通商も行われていました。またイタリアの北西部に住むエトルリア人は、干拓や上下水道を引く技術などもすでに持っていました。

ローマ初代の王となったロムルスは、市民集会によって選ばれ、国政を王、元老院(100人)、市民集会の三つに分離、元老院は王に助言する役目を担っていました。また、神祇を司る最高官も市民の選挙で選ばれ、書記官は日記を付けており(それが後々歴史書が書かれる上での参考になった)百人の兵士で対を組む百人隊もロムルスによって考え出されたものです。歴史上どこの国も絶えず戦争をしていたようですが、ローマという国は、戦争をして勝っても負けた国の人を決して奴隷とはせず、ローマ人同様の市民権(兵役の義務も)を与え、能力のある人間は、例え属国の人間であっても高い地位に上ることができました。そういうローマ人の解放性、柔軟性がローマという国をどんどん広げ、ローマ帝国を作り上げたようです。

キリキア州出身でヘブライ語を話すユダヤ人のパウロも、ローマ帝国の市民権を持っており、アジア地方宣教の後、ローマへ宣教に行き、テヴェレ河の辺りで殉教、その地に建てられたのがヴァチカンであり、パウロの墓はヴァチカンのサンピエトロ大寺院に祭られています。

使徒言行録(新改訳)を改めて読み、「ローマ人の物語2」の地図の上で、パウロの宣教の足跡をたどって見ますと、「行け、私があなたを遠く異邦人のために遣わすのだ」(使徒22:21)という主の言葉に従ってパウロがいかに大胆に、活動的に神の福音を宣べ伝えていたかが実に良く分かるのでした。

 

 

 


 


皆様からのお招きを受けて、初めてNCの地を訪れました。ここにも主を信じる日本人の方々がいて、主の福音のために主に仕えようとする聖徒達がおられると言うことに、深く感動しています。

さて、この「賛美と感謝の集い」で私がお話しようとしておりますのは、今から言うと3千数百年前の物語です。

 

姑のナオミは住んでいたパレスチナ南部のユダ地方が飢饉に見舞われたので、夫のエリメレク(わが神が王=当時イスラエルには王はいませんでした)と共に、2人の息子(兄はマフロン、弟はキルヨン)を連れて隣国モアブ(現在のヨルダン王国)に移ってきました。どのくらい経ってのことか分かりませんが、落ち着いた暮らしの中で息子達を結婚させることもできました。

10年後のナオミは自分のことを指して「私は年をとって、もう夫は持てません」と言っていますので普通に考えると40才の後半と言ったところでしょうか。それにしても、何ということでしょうか、家族全員の、特に子供達の健やかな成長を願えばこそ飢饉の故郷を離れて異国にまでやって来たのです。それだのに、この外国に来て夫に先立たれ、2人の息子にまで先立たれてしまい、2人の嫁が残されるという有様です。その自分の惨めさを、彼女自身が表現しています。「もうナオミと呼ばず、マラと呼んで下さい」と。言い換えますと、ナオミ(快適)でなく「苦悩」と呼んで欲しい、と言うのです。

 

家内の姉は一昨年、すでに成人した娘や息子のいる1人息子に先立たれて、元気を失い体調を崩すほどでした。また、私自身にも、末の妹がこの1月に、また上の妹の主人が3月に召されるということがありました。言わば相前後する同じ世代の者が召されて行くのは寂しいことですね。

Text Box:  そんな思いをしているナオミは、決心して故国のベツレヘムに帰ることにして、2人の嫁とモアブの土地を旅立ちます。しかしナオミは道々思いました。この嫁達を連れて帰ってどうするというのか。自分達の畑は、すでに人手に渡ってしまっています。どうやって生計を立てるというのか。それよりも何よりも、このうら若い2人の嫁達の今後の人生を、寡婦として縛り付けておくつもりなのか。それはとんでもないことです。彼女はついに、嫁達に実家に帰り再婚するように、言い渡します。なかなか引き下がらない嫁達でしたが、次男の嫁オルパは、泣きながらも別れの口付けをして去って行きました。

その時、ナオミは、残っている嫁ルツに言いました。弟嫁のオルパは自分達の民モアブと、その神の所へ帰りました。あなたも自分の親元へ帰りなさいと。その時に、姑ナオミに対して嫁ルツが答えた言葉が、今日皆さんの心に刻みつけて頂きたいと私が願っている御言葉です。

「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないで下さい。

あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。

あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。

もし死によっても私があなたから離れるようなことがあったら、

主が幾重にも私を罰して下さるように。」

ルツと夫マフロン(病いの意味)との結婚生活がどの位の期間続いたのか正確には分かりませんが、特定せずに「2人の息子達はおのおの妻を迎え、10年の間そこに住んでいた」と4節にありますからこのモアブに来たのは、もっと以前のことのように思われます。マフロンという名からして、幼い時から病弱な人だったのでしょう。不幸な結婚生活でした。病気がちな夫の世話に明け暮れする暮らしだったのではないでしょうか。しかし、この10年という期間に、彼女は、姑ナオミからイスラエルの神信仰を教えられ、受け入れるように導かれ、今、その信仰に堅くたって、微動だにせずに、お義母さんから離れて去るということは、お義母さんを捨てるというだけでなく、イスラエルの神との契約の交わりから絶たれるということです。この神信仰、契約信仰は、ひとりでに身についたものではなく、姑ナオミから教えられたに違いありません。

 

皆さんはどなたに導かれたのでしょうか。本来的には、親から子へ信仰は継承されていくべきものです。それは神様の意図しておられた筋道でした。しかしその信仰の継承は、自動的に親から子へと継承されていくのではなく、親による信仰教育に負うところが大です。そして共同体の中で訓練されることになります。

イスラエル人でなく、モアブ人であるルツに対する信仰教育は、姑のナオミによってなされました。台所に立って、信仰教育はほどこされたに違いありません。

それにしても、ルツは素晴らしい信仰の告白を姑に返しております。死によっても姑ナオミから離れることは、神様から離れ去ることを意味しています。モアブ人が持っている信仰とは、イスラエルの神の忌み嫌う偶像礼拝であり、その中に戻って行くということは、滅びを意味しています。それだけではありません。死の彼方にある永遠の命によって生きる天の御国の生活を失うことを意味します。そして神様の裁きの下に身をさらすことになります。

だから、ルツは、あなたから離れて帰るように仕向けないで下さい、と言うのです。ナオミの行く所、それは神の契約の民が生きる所であり、ナオミが住む所、そこは神の民が住む所であり、その真っ只中に神様が臨在なさる所です。死んで終わりではないそこから天国の永遠の生活が始まるのです。だからナオミが死ぬ所で私も死にます、と死んでも共に生きることを告白しています。ナオミから離れることは主の裁きの下に身をさらすことに他なりません。どうか、あなたから離れるように仕向けないで下さい、と信仰告白をしているのです。

 

彼らが生きていた時代のイスラエルには、王がまだ立てられておらず、また預言者モーゼが率いていた時代とも違い、神の御言葉は民の中では、ほとんど顧みられない状況にありました。おのおのが正しいと思うことに従って暮らしていた時代です。言ってみれば、今日のように、神でなく、自分を基準にして生きる時代でした。それだけにルツの信仰告白は光を放って見えます。

ナオミはすべてを失うためにモアブの地にやって来たようなものです。しかし事実は、そうではなく、イスラエルの中にも珍しく純粋な信仰の持ち主となったルツを得たのです。ナオミが得ただけではありません。イスラエル全体のなかに光をもたらす存在となったのです。それは不思議な神の配剤でした。ルツの曾孫としてダビデが生まれ、その末に主キリストがお生まれになられたのです。

その主イエス・キリストは弟子達に仰せになりました。私はぶどうの木、あなた方は枝である。私に結ばれていない者は切り捨てられる。結ばれている者は命に留まっている。私を信じる者は死んでも生きる。生きていて、私を信じる者は決して死なない、と。

モアブの女性だったルツは、マフロンとの結婚によって幸福な生活を続けることはできませんでしたが、彼女はその結婚関係によって神の民の一員とされました。そして救い主と切り離されない関係に置かれました。この上もない幸福な生活へと高められました。そしてルツ記に書かれていますように、再婚によって地上的にも幸福な暮らしへと祝福されています。しかし何よりも、ダビデ、そしてキリストの祖先となる光栄に浴しています。

皆さんのこの地における生活がどのような暮らしであるにせよ、主イエス・キリストと結ばれることによって、永遠に生きる、誰にも奪われることのない命を与えられて生きて行かれるのです。


 

寄稿  チャチの人々                                  片山進悟


Text Box:  3月下旬からイースターの前までエクアドルにおいてジーザスビデオのチャチ語への吹替えに従事する機会が与えられました。以下二回に分けて、ご報告させて頂きます。

彼らの言葉でチャチとは「人間」と言う意味です。小さいグループの言葉には良くあることで以前聖書朗読カセットの制作に参加させて頂いたワラニ(約40年前に5人の宣教師を殺した人々)の言葉でもワラニは人間と言う意味でした。

チャチの人々は、エクアドルの西北の海岸地帯、リオ・カヤパス川の流域に住み、狩猟採集を主にしています。人口は5000から8000人であろうと言われています。人口が正確に把握できない理由はジャングル地域のため調査できない部分があることと、ケチュアの人々のように、他の地域に行っても独自の服装や生活様式を保つのではなく、地域に同化してしまうので分からなくなってしまうためです。

録音に協力した人達も、服装は私達と同じですし、翻訳に協力しているマーティダスという若者はキーボードの演奏をしたり、歌を作ったりして日本の若者と全く変わりません。

ちなみにチャチにはもともと歌というものがないそうです。

エクアドル全般と同様にカトリックが主流ですが、アライアンス教会が伝道に努め、プロテスタントも増えています。ウイクリフの翻訳者ウイーブ夫妻は1970年にエクアドルに来て聖書翻訳を始め、今年、新約聖書、創世記、出エジプト記の翻訳を終わる予定です。

数年前から南部バプテストの宣教師がチャチの人々が住む3つの川の合流点にあるボルボンを拠点に宣教活動を始めました。今回のジーザス・ビデオのプロジェクトもテーラーメモリアル・バプテスト教会が計画して資金を提供バプテストの宣教師が管理事項を担当し、ウイーブ夫妻が台本の翻訳、話し手の選定、録音の場所の手配などを行いました。そして録音の場所と話し手の宿泊場所を提供してくれたデバイン・サルベーション福音教会や仕事を休んで参加したチャチの人達の協力があって、このプロジェクトが実現ました。

この後、6月にテーラー・メモリアル教会の人達が完成したビデオを持ってチャチの町々を巡回することになっています。

話し手として参加した人達は、主にサパロ・グランデの町からカヌーとバスを乗り継ぎ、2日かけて首都キトーから約1時間のアマグアーニャという町にあるデバイン・サルベーション福音教会に来て、私達が到着する3日前から練習を始めました。

Text Box:  その練習を通して、人々は初めて御言葉を耳で聞きここは別の表現にした方が良いと言う声が何度も上がり、修正が行われたということです。聖書を自分で読んだ時には気がつかなかったものが、人が読むのを聞いて何かすんなり入ってこないことに気がついたのです。ウイーブ夫妻は、録音することが、より良い聖書翻訳につながることを実感したと言い、翻訳者は録音して人々に聞いてもらうまでは翻訳が終わったと思うべきではないとまで言うようになりました。これは、かねてから私達が翻訳者達に言ってきたことなのですが、今回翻訳者自身からそれを聞くことができました。

教会はセメントブロック造りという録音には最悪の建物でしたが、

簡易スタジオの例

 
現地に到着した翌日、寝袋や毛布などで、簡易スタジオを作り、録音に必要な静かさを確保することができました。(教会のすぐ外には豚や鶏が放し飼いされていました。)

テーブルやイス、録音機器を配置し、準備ができた所で全員に集ってもらい吹替えの方法を説明・展示しました。マイクを前にするのは初めてで内心不安だった人達も、それで安心したようです。

 

今回は録音機器のトラブルが全くなく、また翻訳者の事前準備が良かったので、せりふの長さが割り当てられた時間に対して長過ぎる時、意味を変えずに表現を変えて語数を減らす、スクリプト・フィットと呼ばれる作業がほとんどなく、全てがスムーズでした。皆さんが、お祈りによって支えて下さった賜物と感謝し、主をあがめます。

「あなた方も祈りによって、私達を助けて協力して下さるでしょう。それは、多くの人々の祈りにより私達に与えられた恵みについて、多くの人々が感謝を献げるようになるためです。」(IIコリント1:11)

もちろん今回も、障害はありました。イエス役に予定されていたサンチャゴは録音を始める前日に、勤め先でどうしても抜けられない用があって一旦帰ったところ、その後仕事を休む許可をもらえず、結局参加することができなくなりました。

そこで、急遽後任を決めなければならなくなり、ホアン・アンドレの名が出ました。彼は30代でまだ若く、万が一将来クリスチャンとして好ましくない行いがあった時には、このプロジェクトが台無しになると、ウイーブ夫妻は心配したようですが、本人が必ずクリスチャンとして恥ずかしくない生き方をすると約束し、また回りの人達もそれを支えると約束して、彼がイエス役に決まりました。

イエスがバプテスマを受け、荒れ野で試みを受けられる場面を録音した後、神様の御用ができることをホアンは本当に喜び、誇りに思っていると言いました。

彼のお姉さん、ドルカスがエリザベス役で来ていましたが、彼女が出番を終わって帰る時、ホアンは彼女に、「神様の御用をしているんだから、帰るまでしっかり僕の牛の世話を見て下さい」と頼み、ドルカスは「牛は恐いけど、一生懸命世話をする」と答えたということです。

 

 


ノアの大洪水 8

さて、ノアの洪水に関して、旧約聖書の創世記7章6節から8章14節までを読んでみましょう。ここで、読んだ通りには理解し難いことが幾つかあります。まず7章11節「大いなる深淵の源がことごとく裂け、天の窓が開かれた。」次に7章19、20節「およそ天の下にある高い山は全て覆われた。水は勢いを増して更にその上15アンマに達し、山々を覆った。」そして8章2、3節「深淵の源と天の窓が閉じられたので、天からの雨は降り止み、水は地上から引いて行った」などでしょう。

これらを理解するためにはウオーターキャノピーと地殻変動について理解することが必要です。ウオーターキャノピーについては去年の12月号でご説明しました。洪水以前には地表上空17kmほどの上空に、厚さ2.5mほどの非常に密度の濃い水と氷の層があり、宇宙から来る紫外線その他の有害放射線を遮り、また地球の酸素が地球の外に逃げないようにシールしていたのです。

 

Text Box:

 

ハンマー

 
今から15年ほども前に読んだ本の中に(それは世界中の不思議な事実を集めた本でした)錆びない鉄の柱というのが有りました。実は、その本の内容で今も覚えているのは、その柱のことだけなのです。その本に掲載されていた写真を思い出してみると、その柱は直径30センチほどの円柱で地面から生えたように真っ直ぐ立っていて、横に立っている男の身長の2倍ほどの高さでした。付近の古老の誰も、何時それが立てられたか知りません。彼らの先祖がその地に来た時には既に、そこにあったと言うのです。その場所はイラクかイラン、どこかその辺でした。そんなに古いのに全く錆びないと言うのです。

なぜ、その柱のことを思い出したかというと1943年にテキサスのジュラ紀の地層から発見されたと言うハンマーの話を、去年聞いたからです。このハンマーについてNASAや他の研究所の科学者達も、人工の物であると鑑定しています。そこで、まず注意したいのは、進化説によればジュラ紀地層の時代というのは恐竜の時代であり、人が地球上に現れるのは、その一億年後ということになっています。つまり、人類の進化する以前の地層から人間の作った物が発掘されたということで、進化説を否定する証拠がもう一つ追加されたということになります。でも、実は、このシリーズとしては、そんなことよりも、もっと重要な意味が、この発掘にはあります。私達の常識では、地層の中に埋まった金属製品は、長い年月を経ると錆びてボロボロになるはずです。ところが長さ約15.2センチの、このハンマーは、木製の柄は半分炭化しているというのに鉄の部分は錆びておらず、むしろ光っていると言うのです。昔読んだ鉄の柱と同じです。発見者が掘り起こした時につけた傷口は今でも錆びていません。

オハイオ州コロンバスの、月の岩石などの研究をしている研究所で分析した結果、このハンマーは96.6%の鉄、2.6%の塩素、0.74%の硫黄などでできていることが分かりました。その研究所の科学者によれば、鉄と塩素の化合物は普通の状態では作れないのだそうです。そして、この組成は約30年前になって研究室の中で、ある特殊な条件のもとで、ごくわずか作り出せるようになったのであって、非常に高くつく物である。そのような物でハンマーを造るなんて考えられないと言うのです。そのような物が古代の地層からしかも近代技術を駆使した実験室で作れるようになる約70年も前に発見されていたのです。古代に、なぜそのような製鉄技術が存在したのでしょうか。

実は、それは特殊な製鉄技術とは関わりのないことでした。NASAの科学者によれば、紫外線の影響がなく、現在の2気圧、酸素濃度が30%という状態であれば、そのような純度の鉄ができるそうです。そして、それがノアの洪水以前の地球の状態、ウオーターキャノピーによって保護されていた地球大気の状態であったろうと言われています。つまり、そのハンマーと、私が覚えている写真の鉄の柱は、どちらもノアの洪水以前に作られた物、洪水以前は大気の状態が今とは全く違っていたという証拠、ということなのです。

片山進悟

 


心のマッサージ

今月から笑い話も掲載したいと思います。最初に、Tyndale出版 Robert C. SavagePocket Smilesからノアの大洪水に関連したものを一つ。

Text Box:

十九世紀に英国が生んだ大説教家スポルジョンの説教

「皆さん、あきらめてはいけません。やり通すことです。投げ出してはいけません。小さなカタツムリでさえ、最後まであきらめずに、ノアの箱舟までたどり着いたのです。」

 

世界的に名の知られたある学者は、信じられないほどのボンヤリで有名だった。

彼はある日、列車に乗っていたが、自分の切符をどこにしまったのか思い出せなかった。「どうぞごゆっくりお探しください」と車掌が言った。しばらくして、また車掌が戻って来た時、彼はまだあちこち探していた。相手が有名人であることを知っている車掌は、「切符を買ってお乗り下さったことは分かっておりますから大丈夫です」と言った。「いや、大丈夫でないのは私なんです。あの切符がないと、どこで降りるのか分からないのです。」

 

 

お知らせ

毎月第2と第4火曜日9時半から、二階の240号室でエクレシアの会という、肩のこらない形での聖書の学びと楽しい交わりの集まりをしています。どなたでもお気軽にどうぞ。

お問い合わせは片山順子姉704-843-8038まで。

 

「いのちの泉」は、シャーロット在住の日本人のコミュニケーションのための月刊紙を目指しています。皆さんも、どうぞ奮ってご参加下さい。お互いの向上に役立てるための趣旨に賛同して下さる内容であれば何でも結構です。Carmel Baptist ChurchJapanese Ministry 宛、またはcharlottejpm@hotmail.com にお願いします。

 

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