ヨセフ物語の意味 創世記37、39章〜50章

ルー・ウォレスという将軍がアメリカにいました。聖書を信じるなんて馬鹿げている、それを証明してみせようと考えて聖書を調べました。ところが、調べれば調べるほど聖書を否定することができなくなって、とうとうクリスチャンになってしまいました。そして「ベン・ハー」という物語を書いたのです。私も彼ほどではありませんでしたが、キリスト教を信じようとか、キリスト教が好きだからと言って聖書を読んだわけではありません。むしろ、何もそんな西洋の宗教のお世話にならなくたって日本には神道もあるし、東洋には禅という素晴らしい宗教があると考えていました。ただ、中学の時「ベン・ハー」と「栄光への脱出」という二つの映画を見たのがきっかけで、ずっとユダヤ民族、イスラエルと言う国に興味がありました。それで聖書を彼らの歴史として読み始めたのです。

私は本を読んだりテレビを見たりする時、つい、そんなことがあるだろうかと吟味しながら読んだり見たりしてしまう癖があります。ある時日本で、かなり売れている作家の推理小説を読み始めました。M16というライフルを使って殺人をし、銃を分解して車に隠し、検問をすり抜けて逃げおおせるという小説でしたが、読んでいて、その作家が実はM16だけでなく、銃を扱ったことがないことが読み取れ、その先を読む気がしなくなってしまいました。

同じように聖書を読む時も、疑いではありませんが、つい調べる気持ちがどこかで働いていました。でも、聖書には理解できない部分は沢山あっても、おかしなところはないのです。

ヨブ記28:25に「風を測る」という言葉があります。空気に重さがあると分かったのは近代になってからです。紀元前の、この時代の人にそんな知識はありませんでから、これは詩的な表現だと考えました。しかしヨブ記36:27、28には、地上の水は空に帰り、雨となって降り注ぐ、雨は雲から滴り落ちるとも書いてあります。これなどは詩的どころか自然現象そのものです。このような、この時代の人々の知識にはなかったことが書かれているのは、聖書が神の霊感によって書かれたのだと言われていることを受け入れる他、説明ができません。

私は機会が与えられる度に、聖書は信じられるということを分かって頂きたいと思ってお話をさせて頂いています。理解できないことが書いてあっても、それはこのヨブ記の例のように、私達の知識や理解力が聖書のレベルに到達していないだけであって、聖書が間違っているのではないのです。

今日ヨセフの物語から、聖書のすごさの一例をお話したいと思います。

創世記の中でヨセフ物語は大変大きな部分を占めています。創世記50章の内、最後の13章(38章はユダの物語)がヨセフ物語です。アブラハムの物語が実質11章、イサクの4章は実質的にエサウとヤコブに関する記述で埋まっています。ヤコブが9章です。文章量だけで論じることはできないのは当然ですが、創世記でヨセフ物語に大きな重点が置かれていることがわかります。

それにしてもヨセフ物語は創世記の他の部分とは別個のものと見るほうが良いような気がします。例えば35:22からヤコブの息子達の説明があり、続いてエサウの子孫の説明などがあって、創世記は形式的には36章で終わっています。ノアの洪水の後、民族のリストアップから物語が始まっているのと対照を成しています。民族のリストで始まり民族のリストで終わっているのです。私達は余り気にしませんが、この地域のこの時代の人だけでなく、世界の多くの民族・部族にとって系図は非常に大切です。日本でも昔の合戦の物語を読むと、まず自分がどこどこの誰の子で何者であるかという名乗りをあげます。また聖書の中でも、エッサイの子ダビデとかヨセフの子イエスとか呼んでいます。このように系図は非常に大切なので、ノアの子孫がリストアップされ、イサクの子孫がリストアップされています。ですから、創世記は実質的にここで完結しているのです。

そして、次の「出エジプト記」はヤコブの一家を、それぞれ名を挙げて説明することから始まっており、同じ形式です。仮に創世記36章に続いて出エジプト記が始まっても全くおかしくない形になっています。出エジプトを書き始める場合、なぜイスラエル人がエジプトに移ったかという説明は欲しいところですが、そのために挿入されたにしては大作です。

また、ヨセフはイスラエル12部族のうち2部族の祖先には違いないのですが、ダビデやイエスキリストの祖先ではありません。それなのになぜこれだけの精力が注がれているのでしょうか。

私達はヨセフについてどのようなことを知っているでしょうか。もう一度37章を読んで確認したいと思います。

少年時代のヨセフは、37:2C〜10に記されているように、生意気な子供でした。そこで兄達に憎まれた挙げ句、奴隷として売られてしまいます。

これはヤコブがヨセフを特別扱いしたことが影響しています。年を取ってから生れた子であるからと書いています。その上、最愛の妻であるラケルの子です。37:3でヤコブは彼のために長い袖の着物を作ったと記されています。軽く読み流すと、これはヤコブがヨセフに特別良い着物を着せたように読んでしまいますが、実はこれには意味があります。この一族の仕事は何でしょうか。羊飼いですね。羊飼いは羊と一緒に水を求めて荒地を歩きます。時にはダビデが言ったように、羊を狙う獣と戦わなければなりません。そんな時、長袖の着物を着ていたらどうなるでしょうか。皆さんも長袖の服を着ていて、本気で仕事をする時には袖まくりをするのではありませんか。長袖の着物という者は仕事着ではありません。つまりヤコブはヨセフに、他の兄弟達と同じ仕事をしなくて良いといったのと同じです。ヤコブはヨセフの能力を見抜いて、彼を兄弟達のリーダーにしたのです。それが兄達の反感をかった本当の理由ではないでしょうか。ヨセフの能力は、彼が後にエジプトの大臣になったことで証明されます。37:11の「しかし父はこの言葉を心にとめた」は、ヤコブがヨセフの言ったことを心外に思いながらも、この子ならそんなことが将来起こるのかもしれないと考えたことを示しています。

奴隷として売られた先では、とんでもないこともありましたが(神には御計画があったので)、「神がともにおられ」ヨセフは祝福されていました。39章2、3節と23節。

給仕長と料理長の夢を解いたことから、やがて王の夢を解くことになり、王の信頼を得てエジプトの大臣に取りたてられることになりました。41:16を読んでみましょう。少年時代とは打って変わって謙遜な人物になっています。

この時ヨセフは30才でした。ダビデも若い時に油を注がれましたが王になったのは30才、イエスが伝道を始められたのも30才、また祭司として任務に就くのは30才だったということで、イスラエル人には30才が公務につく年と考えられていたようです。この奴隷としての13年間は彼が人として練られるために必要な神からの訓練の時だったのです。

さて、42章からスリルとサスペンスに満ちながらも感動的な物語が始まります。ぜひ後でもう一度ゆっくり読んで見て下さい。ここでは42:21、43:20、21、そして44:33、34を読んでみましょう。正直で親や兄弟の愛に満ちた一族の姿がそこにあります。特に42:21で兄達はヨセフにした仕打ちを悔いています。渋柿が時間の経過と共に甘くなるように、あるいはそれまでに兄弟達の心の中にあった苦い思いが、たかが子どもの言うことを本気にしてひどいことをしたという思いに変えられていたのかもしれません。

それに対してヨセフは今や絶対権力者、どんな仕返しでもできる地位にいますが、45:7、8を読むと彼が兄達を赦していること、自分の生涯に神が深く関与されていることを証しています。また50:17〜21には兄達が再度赦しを請い、それに対してヨセフの赦しの確認が述べられています。

さて、ヨセフがエジプトに売られていった年代について聖書は特定していませんが1700BC頃のことと思われます。ここでヒクソスという民族が登場してきます。長いエジプトの歴史の中で何度か他民族がエジプトを支配したことがあるのですが、実はヨセフがエジプトにいた時期はヒクソスという民族がエジプトを支配していた時期に当たります。ヒクソスは今のシリア・レバノン付近にいた民族なのですが、北から移動して来たアーリア人に圧迫されて、今のパレスチナを通り過ぎてエジプトに移動します。ヒクソスは馬に引かせた戦車を使ったので、それまで馬を知らなかった、従って戦車を持たなかったエジプト人に容易に勝ったということです。ヒクソス自体の記録はないのですが、エジプト側によれば、自分達の先祖が負けたと書きたくなかったのかもしれませんが、ヒクソスは大きな戦いなしに支配権を確立したようです。ヒクソスは陶器職人、鍛冶屋、建築者として優れていたのでエジプト人は彼らを歓迎したという記事もありますので、双方に大きな摩擦無くして支配権の移動が行われたことは考えられます。

エジプト人はヒクソスのエジプト進入まで車という物を知らなかったということから、「ヨセフを王の第二の車に乗せた」という41:43の記事は、これがヒクソスのエジプト侵入以後のことだということを示しています。

次に、出エジプト記1:8を読むと、「その頃ヨセフを知らない新しい王が出てエジプトを支配し」と書かれています。これはヒクソスの支配が終わり、エジプト人が王朝を回復したことをあらわしています。それはBC1580頃のことでした。

ヒクソスはヨセフと同じセム系の民族で、地域的にも近い所にいた民族です。言葉も似ていたか、あるいは同じだったかもしれません。ヨセフがエジプトに売られていったのはヒクソスがエジプトに支配権を確立した直後のことです。支配層はヒクソス、支配されているのがエジプト人という構図です。そこに奴隷として売られてきたのですから、親戚の家に売られてきたようなものです。39:3、4を見ましょう。奴隷とはいえ言葉が通じて民族的にも近いヨセフを主人が重宝するのは極めて当然なことだと思います。取りたてられる条件ができていたということです。もし、そうでなければ通訳が必要な者を支配人にしたりはしないでしょうし、王の夢解きをしたとしても、言葉の通じない者を大臣に取りたてることはないでしょう。さらに45:16を読むと、王がこの一族に好意を示していますが、これは民族的に近い、同じ地方から来たということを考えると理解しやすいと思います。

余談になりますが、47:13からヨセフの政策が書かれています。ヨセフはこのようにしてエジプトにおけるヒクソスの支配権の強化に協力しています。

ヨセフは45:8で「私をここへ遣わしたのはあなた達ではなく、神です」と言っています。ヒクソスがエジプトを征服したのはヨセフのエジプト到着の直前でした。そしてヨセフの死後間もなく、ヒクソスの約120年のエジプト支配は終わります。創世記の最後にヨセフは110歳で死んだとありますから、ヨセフのエジプト滞在とヒクソスのエジプト支配はまさしく一致しているのです。明らかにヨセフがエジプトに遣わされたのは神のご計画であることがわかります。

それは何のためだったのでしょう。直接的には一帯を襲った飢饉からイスラエルを守るためです。そして、やがて約束の地に導かれる時、彼らが神の御手によって導き上ぼられたことを確認できるようにするためです。しかし私達には、やがてこの世に来られるキリストのラインを確保するために、神がこの一族を守られたことが読み取れます。ヨセフはそのことを知っていて、45:7で「大いなる救いに至らせるため」、また50:20で「多くの民の命を救うために」このことが起こったのだと神の御計画を語っています。

ヨセフ物語のテーマは何でしょうか。それは赦しです。旧約聖書で「赦し」という言葉は神から人に対しての場合に用いられています。その中で唯一ヨセフ物語は人が人を赦すという、赦しをテーマにした本です。

皆さんのご支援により私はバナキュラーメディアサービスで奉仕させて頂き、聖書ビデオを多くの言語に吹替えしていますが、イスラムの人達にジーザスビデオやルカの福音書ビデオを持っていっても受け入れてもらえません。私達にとって神の独り子イエスは、彼らには預言者の一人に過ぎないのですから。しかしヨセフのことは彼らも良く知っています。そこでヨセフ物語をイスラムの人達の言葉に吹替えするのは非常に有効な方法です。彼らは目には目を、つまり復讐の世界に生きていますし、力で他を征服しイスラムを広めることは正しいと信じています。それなのにヨセフは、自分を奴隷の身に落とした兄達に復讐をしません。なぜ復讐しないで赦すのか、彼らには理解できません。そこで赦しということについての話の糸口ができるのです。そしてイエスキリストの犠牲を通して私達人間の罪も赦されていることを彼らに伝えることができます。

そう考えると、ヨセフ物語が創世記の中に含まれている深い意味が理解できるような気がします。神はイスラムの人々をも御自身の救いに導くため、はるか3700年も前に、このことを準備なさったのです。また、私達もヨセフの例に倣って人を赦すことを学ぶことができます。そして、そのために神はヒクソスという民族を使ってエジプトを、ヨセフのため、イスラエルのために準備されたのです。本当に神の御計画のすごさは計り知れません。その神の御手は私達の人生の上にも働いて、私達の人生を御自身の目的のために、また私達の益となるように整えていて下さることを感謝したいと思います。

ユダヤ民族のことを「イスラエルの子ら」という言い方をします。37:13を見ましょう。イスラエルがヨセフを兄達の所に派遣しようとしています。父がその愛する子を、「イスラエルの子ら」の所に送るのです。ところが「イスラエルの子ら」は、父が送った子を「殺して」しまいます。奴隷として遠い他国に売られていけば父にとってその子は死んだのと同じことです。これは父なる神が、独り子であるキリストをユダヤ人の所に送られたにもかかわらず、「イスラエルの子ら」は、彼を十字架にかけて殺してしまった事実の雛形になっています。しかも、それだけでなく、その父の愛した子は「墓の中から上げられ」て、「王の右に座す方」となり、イスラエルの子らを赦し、その罪から解放したのです。

このようにヨセフ物語は、一つの福音書としての意味を持っています。旧約聖書の中の福音書、これがヨセフ物語の意味です。(文責:片山進悟、02年8月)

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