クリスマスに対するあなたの反応は?

クリスマスが近づいています。モールやショッピングセンターにはサンタクロースが姿を見せ、TVでも盛んにプレゼントを買わせようと宣伝しています。しかしクリスマスの真の意味を知って教会で敬虔な祈りと感謝を持ってクリスマスを迎える人が依然として少ないのは残念です。しかし聖書を見ると、これは現代だけの現象ではなく、当時のユダヤも似たようなものであったことが示されています。

イエスが生まれたのは「ヘロデ王の時代」と言われています。それは当時の支配国であったローマによって紀元前40年にユダヤの王に任命され、紀元前4年に死亡したヘロデ大王と呼ばれる人です。それで今日の学者は、イエスの誕生を紀元前6年から4年頃と考えています。イエスはベツレヘムで生まれました。これはルカ2章にその事情が述べられているように、当時人口調査があり、ヨセフとマリヤは登録をするために自分達が住んでいたガリラヤのナザレという村を出て、ヨセフの故郷であるベツレヘムに来、その時にイエスが生まれたからです。マタイ1章の系図に見られるように、ヨセフはダビデの家系でした。ダビデはベツレヘムの生まれであったと聖書には述べられています。ダビデの子孫であるメシアがベツレヘムで生まれたというのは当然のことのように思われますが、その背後には皇帝アウグストが人口調査をするという出来事を通して神の摂理が働いていたことを知ることができます。

イエスが生まれた時、東方から博士達がやってきました。この人々はバビロンあるいはペルシャから来たと考えられています。バビロンにユダヤ人が捕らえられて行ったと旧約聖書に記されています。やがてメシアが出現するという希望をバビロンの人々はユダヤ人を通して聞いていたと思われます。「博士」というのは今日の博士とは少し意味が異なり、むしろ宗教儀式に携わる人々であったと思われます。一種の知識人で、バビロンで盛んであった占星術の知識もあり、その他、夢を解いたり占いをしたりする人であったと思われます。その博士達が星を見ていると、不思議な星が見えたので、何か異常なことが起こるに違いないと直感しました。おそらく彼らはそれが何を意味しているのかを協議したことでしょう。そして何百年も前にユダヤ人によって伝えられたメシア出現の希望のことを思い起こし、それに違いないと信じてやって来たのです。今日のような交通機関の発達していない当時のことですから、この旅行は並大抵の努力ではできません。何百キロという道の途中には砂漠もあり、色々予測のできない危険もあったことでしょう。しかも彼らはユダヤ人ではなく異邦人であったのです。聖書についての知識も足りませんでした。しかし彼らは人づてに聞いた神の救いの約束を信じたのです。これは異邦人ながら、誠に立派な信仰と言わなければなりません。彼らは「ユダヤ人の王」としてのメシアを捜し求めてはるばるとやって来たのです。

 

1.ヘロデの反応

ところがヘロデはユダヤ人の王が生まれたと聞いて「不安を抱いた」とあります。彼は自分こそユダヤ人の王であると自認していたのです。だからユダヤ人の王は自分の王宮で生まれるはずです。それなのに自分の知らない間に、どこかで「ユダヤ人の王」が生まれているとは。彼は不安を感じ、心の中には恐れと同時に、その王として生まれたメシアをひそかに殺してしまわなければならないという考えが浮かんできました。彼は、早速宗教的な指導者達や律法学者達を集めてメシヤはどこで生まれることになっているのかと問いただしました。彼らはミカ5章2節を引用して「ベツレヘムです」と答えました。ヘロデは自分の殺意を知られないように「博士達をひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。」そして「行って、そのことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。私も行って拝もう」と偽って、さらに情報を集めようとしたのです。

ヘロデは「ユダヤ人の王」と聞いて、自分の王位が狙われると思いましたが、メシアは単にユダヤ一国の王ではありません。聖書はメシアを「王の王、主の主」と呼んでいます。これは地上の全ての国を支配する神の国の王であることを意味していました。ヘロデも、このメシアの前に罪を悔い改め、服従すべきでしたが、彼は自分の地位が狙われていると誤解してメシアに反感を抱き、殺そうとしました。これはメシアに対する反逆の姿勢であり、この反応こそ神に対する罪の原点です。

 

2.祭司長と律法学者の反応

祭司長や律法学者達は、メシアがどこで生まれるかということは人に教えることができるほど良く知っていました。しかし、それ以上の関心を示さなかったのです。エルサレムからベツレヘムまではわずかの距離です。何百キロもの遠い所から、異邦人である博士達がメシアを捜し求めてやって来たのとは実に対照的です。彼らはメシアに関しては博士達よりもはるかに良く知っていたのに、目と鼻の先にあるベツレヘムに行こうともしなかったのです。なぜでしょうか。彼らにはメシアを求める心がなかったのです。宗教的な指導者であれば救われるのは当然と考えていたのです。しかし、これは安易な考えだと言わなければなりません。聖書を知っていれば救われるという訳ではないのに、宗教的な地位や身分に安住して、メシアを捜し求めようとしない無関心は、反逆と同様に大きな罪です。イエスはやがてこれらの祭司長、律法学者の罪をはっきり指摘されました。

メシアを真っ先に信じなければならないユダヤ人が信じないで、神の救いの計画から遠いと思われていた異邦人が信じたのは一種の皮肉です。マタイは当時のユダヤ人が、自分達のかたくなさに気づき、無関心の態度を改めるようにと願って、ことさらにこの記事を記したのでしょう。

 

3.博士達の反応

東方の博士達の態度は、私達の信仰のあるべき姿を示しています。彼らはまず、メシアを捜し求めて来ました。第1に必要な態度は求めて来ることです。イエスは「全て疲れた人、重荷を負っている人は、私の所に来なさい。私があなた方を休ませて上げます」といわれました。メシアのもとに来なければ救いは与えられず、心の安らぎも得られないのです。

博士達は星に導かれてやって来て、ついに幼子に会うことができました。信仰の第2段階はキリストに出会うことです。博士達は星に導かれてキリストを見出しました。彼らが見出した幼子には絵画で見るような後光もなかったでしょう。この幼子が成人して、素晴らしい教えを説くのを聞いてもいませんでした。またイエスの十字架の御姿を見たわけでもありません。もちろん王冠も王座もありませんでした。博士達の目の前にいるのは、ごく当たり前の一人の幼子でした。しかし彼らは、この幼子こそメシアであると信じたのです。光り輝く星がそのしるしであり、証しでした。現在の私達をキリストに導き、出会わせてくれるのは星ではなく、聖書の御言葉です。なぜなら「信仰は聞くことにより、しかもキリストの言葉を聞くことによって始まるのです。」私達もイエスの十字架の御姿を、この目で見た訳ではないのです。しかし聖書が、このイエスこそキリストであり、救い主であると語っている故に、イエスを救い主として信じ、その信仰によってイエスと出会うのです。

第三の段階は「ひれ伏して幼子を拝み」ということです。博士達の信仰が本物であったことは、イエスを礼拝したことによって明らかにされています。もし彼らが幼子イエスに出会っても、それがメシアであるという信仰がなかったら拝みはしなかったでしょう。拝むということは、それが信仰の対象であることを示しています。信仰なくしては本当の意味での礼拝は有り得ないし、礼拝なしの信仰というのも有り得ません。私達は毎週日曜日、また毎日の生活の中で、どれほど主を礼拝しているでしょうか。私達の信仰が真実なものであるなら、それは必ず礼拝を伴うものであります。礼拝をおろそかにするなら、真実の信仰を持っているとは言えません。

最後の段階は、宝の箱を空けて彼等の最も大切な宝を献げた」ということです。黄金は今日でも高価な宝です。乳香は高価なアラビア産の芳香のある樹脂であり、礼拝の時に献げる香りとして用いられたのです。没薬も香料の一種であったのです。博士達はメシアを拝んだだけでなく、彼らの最も大切なものを献げたのです。礼拝の中心は私達の最も大切なものを主に献げることです。

パウロはローマの兄弟達に「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなた方のなすべき礼拝です」と勧めています。神が御自身の御子を与えて下さったのであるから、私達が自分を神に献げるのは当然です。これこそ霊的な礼拝と言えるでしょう。礼拝と献身とは別物ではないのです。

以上の博士達の四つの段階を今日的な表現で言うなら「求道」「信仰」「礼拝」「献身」となります。私達も博士達と共に、この信仰の道を進んでいきたいものです。しかし博士達は、献げさえすればもうリバイバルでも起こると考えたのではありません。博士達は御言葉に従って静かに帰って行きました。ひそやかに幼子が育つ期間があるのです。博士達も自分の国でじっと待たなければならなかったでしょう。全てを献げて静かに待てる人、その人のみが救い主イエスにふさわしいのです。